http://rocketnews24.com/?p=19072
(ロケットニュース24 『「巨乳の女性は知能指数が高い」と研究者発表』)
実際に華奢で(つまり「巨乳ではない」)細身の女性にも聡明な人は多いからだ。
ただ、胸のサイズが大きい女性が必ずしもバカであるとは限らない、という事実を証明した事は特筆に値するかと。
私の知る限りでも胸の大きな女性はあまり早口ではない。だが早口ではないからといって「おっとりしている」と決め付けるのもどうかと思う。言葉数は少なくとも、的確な言葉を選び、正確かつ表現豊かな話し方をする人物は居るものだ。
(中里介山やプルーストの方が松尾芭蕉や正岡子規より格段に優れていると誰が言い切れる?『大菩薩峠』や『失われた時を求めて』を「ただ冗長なだけ。紙とインクの無駄使い」と酷評する人も居るのだ。大げさで仰々しく騒がしい文体のラヴクラフトが手紙の中で日本の俳句をほめたのは有名)
このブログの先の記事(11月15日付け)の内容とかぶるが、コントロールするべき筋肉の量が多いとそれだけ脳が忙殺され知的精神活動の割合が減る(ハッキリ言うと「バカになる」)、という事実と、乳の大きさは無関係ではないのではないか、と考えて悩んだ事がある。
垂れてもおらず張りがあって美しい形の乳房は半分くらいは大胸筋つまり筋肉であり、また肩から腕の筋肉もでかい乳を支持するために発達する。巨乳は実は女性ホルモンだけでなく男性ホルモンも動員しているわけだ。それらの筋肉を支配するためにそれだけ脳の「領域」が使われているとしたら「頭を使う」領域が減るのは道理である。
・・・えぇ、悩みましたとも。好きな異性のタイプでその人物の個性はある程度推し量れますからね。
「乳の大きなインテリ女性」が大好きな私にとって、報じられた記事の内容は大歓迎である。
手塚治虫は『マンガの心』で「その三。当然ながら胸のふくらみ。顔やスタイルを、どんなに不恰好に描こうが、女性のお色気はこのボインの印象で決まる。遠慮せずに、できるだけ大きく、大胆にふくらませること」と書いている(98ページあたりね)。女ならぬ男が女性を描くのだから、どうしても外見上の特徴を強調せざるを得ない。これは女性からしてもそうで、だから勢い女性の描く男性はやたら肩幅が広かったりする。
だが巷でよく言われるように「乳のでかい女はバカ」であるのなら、どうしても筆の切っ先が鈍る。「自分は頭の悪い女を描いているのだ。少なくとも現実には存在しない矛盾したキャラクターを描いているのだ。よしんばそうではなくとも世間はそう思っている」と考えたら、正直乳のでかいおねいさんを描いてて楽しくない。
また、手塚先生の「ご指導」の有無にかかわらず、ペドファイル(小児性愛の変質者。潜在的ホモセクシュアルとも言われる)やホモではない男性の絵師で人体の描写・表現、特に量感の表現にこだわる人ほど、女性の乳房を強調して描く(大きく描くとは限らない)傾向がある。
貧乳とか微乳とかツルペタとか無い乳とか、女性の身体としては表現しにくいのですよ実際。下手すれば貧弱な少年の身体に見えかねない。またそんな貧相な女体は描いてて楽しいオブジェではない。
女性の乳房の大きさ・形(および乳頭の大きさ・形そして「位置」)は個人差が大きく千差万別であり、また男性側の好みも十人十色である。ひょっとして顔と同じくらい「個性」があるのが乳ではなかろうか。
(私は大きさより形、張りがあるドーム型の乳が好きです。男の手のひらに納まるか収まらないかのサイズがちょうど良い)
だから絵師によって描かれるおっぱいの大きさ・形も違うのである。
また意外に気づかれていない事であるが、おっぱいの形はその女性の姿勢や動作で変わりやすい。(あくまでトップレスまたは「衣類が小さい」(笑)場合の話だけど)。真に難易度の高いパーツであり、言うまでも無くその難易度は大きさに比例する。研究する余地が多く価値の高いオブジェなのですよ。
大仏と同じである。川柳にも「大仏は 見るものにして尊ばず」とある。大きさに驚くあまり拝まずに帰ってしまう参拝客は多いのだ。
どういう基準・どういう調査方法でどういう対象を調査したのか詳しくはわからないけど「巨乳の女性は(巨乳であればあるほど)知能指数が高い」はちょっと極端な結論かとは思う。
でも、乳にこだわりのある絵師には朗報(笑)だと思うぞ。
正直な話、食事の低カロリー化と有酸素運動のおかげで時間と体力が減っておるのですよ。
身体というのは心が願っているほど言う事を聞いてくれないので、以前の食生活を恋しがって糖分を欲しがります(と言ってもそんなに甘いものは食べてなかったんだけど)。邪魔者以外の何者でもない脂肪を燃焼させずに後生大事に取って置こうとします。(んなもんワシャ要らんのじゃぁぁぁぁぁっ!)
精神活動や日常の用事に使うエネルギーを削ってまで脂肪を予備燃料として確保する必要があるのか、そんなにオレの生活には無駄が多いのか、私の身体は私にケンカを売っているのでしょうか(怒
ただ、苦労の甲斐あってか、どうしても突破できない壁を突き崩せました。なかなか体重75キロより痩せられなかったのですが、今日計ってみたらわずか100グラムとはいえ、75キロを割っておりましたよ。
(BMI値は24.32。メタボじゃないよ適正値ですよ。・・・ギリギリ)
この一歩は人類にとっては割りとどうでもいい一歩だけど、私にとっては偉大な一歩なのですよ。ピース。
同一所要時間に動かす筋肉の量は体格によって違うのだからそれに比例して筋肉を操作する脳細胞の量は違ってくる。身体の大きい人がそれだけ大きな脳を持つのも道理です。
が、同じ人物が筋肉の量(または運動量)を増やしたからといって脳細胞は増えません。頭蓋骨は硬いからね。
だから私がガチムチの兄貴体型になればそれだけ脳細胞が筋肉にかかりっきりになる割合も増える、という事にもなる。私の書く文章がつまらなくなってきたら、それはそれだけガチムチ化が進行している、つまり脳筋化(脳みそまで筋肉化)が進行している、と考えてください(笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA
(モンゴロイドはおよそ5万年前にコーカソイドから枝分かれしたらしい。北米大陸で白人の化石が発見されたのは、ネイティヴ・アメリカンの先祖が白人であり、北米でモンゴロイド化した事を意味しないか?コーカソイドより子供っぽくなった外見をネオテニーだと言い切ってしまうと問題になるのは言うまでも無い。まず白人は認めたがらないだろう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%86%E3%83%8B%E3%83%BC
(別に人種差別を勧めているわけではありません。まぁ白人も黒人も黄色人も種族としては全く同じ、少なくとも遺伝子情報ではそうです。私が白人や黒人の女の子と結婚しても日本人と結婚した場合と同様に子供は生まれます。脳の大きさも「地域差」よりは個人差の方が大きいように思えます。必要があれば脳の大きさなんて簡単に変わるもんじゃないですかね。つまり「進化」というより「適応」の範囲内での変化という事です。「人種」という言葉も人類学者はもう使ってません・・・ごめん冗談ですよもうしませんちょっと言ってみたかっただけです。それにこういうのは調べ始めたら無茶苦茶複雑で煩雑で矛盾だらけでめんどくさくなるので「人類は一つ!」でもういいや)
http://www.gondo.com/g-files/aborig/aborig1.htm
(New Carthago City「アボリジニ 進化の鍵を握る人々 前編」)
筋肉が発達した優れたスポーツマンが同時に優れた知性の持ち主たり得ないのは火を見るより明らか。スポーツで評価されているのにアホ呼ばわりされて怒るのは筋違い、過ぎた贅沢というものです。
「頭いい!よ!インテリ!」とチヤホヤされたかったらさっさと運動なんかやめて勉強に精を出せ!という事ですよ(笑 まぁ頭の良し悪しなんてその程度の問題でしょう。
スポーツマンほど笑顔が爽やかだけど、あれって多分難しい事は何も考えていないからあんな笑顔ができるんですよ。学者とか芸術家があんな爽やかな笑顔してるの見た事無いよ。
だから近頃の私は前にも増して苦虫噛み潰したような表情を心がけているのです(笑
やっぱダイエットと有酸素運動が原因かと思う。
昨日も一万歩を目途に歩いたんだけど(元より私は歩くのが速い方である。軽いジョギングかも知れない)、後で調べたら10キロも歩いていた。どうやら万歩計の設定がおかしかったらしい。
おかげで今日一日だるかったですよ(涙 今度からあらかじめ地図で大よその距離を調べてから歩こうと思いましたよ。
(まぁ10キロぐらい平均時速5kmの速度で2時間ぐらいで走破できる距離ですけどね。ただ他の用事がお留守になりがちなのも確かですよ。時間的にも体力的にも)
また意欲の全体的減退は食生活の変化も無関係では無いでしょうなぁ。
今日台所の砂糖の容器を見て気づいたんだけど、全然減ってないのですよ。思えばコーヒーに入れる甘味料も砂糖からアスパルテームに一ヶ月ほど前から全面的に切り替えていた。私は料理などにも砂糖は全く使わない(奄美が欲しい時は味醂を使う)ので、純然たる砂糖は全廃している事になります。
砂糖という甘味料は、実は文化の発達と深い関係があるらしいですよ。
16世紀前半からカリブ海での砂糖のプランテーション農業が始まり(当初は先住民族を、ヨーロッパ人が持ち込んだ病気によって先住民の大半が死滅してからはアフリカの黒人を奴隷として酷使した)、17世紀後半には英国による大規模化によって安価になった砂糖がヨーロッパに普及した。
このおかげでヨーロッパ人の栄養状態は改善され、脳に供給される糖分も大幅に増え、よって文化そして民度が大幅に発達した、というのだそうな。(脳は最も多くのカロリーと栄養を消費する器官です)
・・・つまり、私は砂糖が普及する以前の文明に(一時的であれ)逆戻りしているのかも知れないのですよ(笑
ダイエットもほどほどにね、つー事ですか。
「腹持ち」とか「満腹感」というのはダイエッターには切実な問題ではないかと思います。
腹持ちがいい食べ物というのは、糖分に変換されるのが遅い(まず消化が遅い)という点で高たんぱく質の食事に近いのかも知れません。満腹感というのは、脳が「燃料補給完了!」と感じ取る反応です。
「甘い物は別腹」というのは肉類が多く炭水化物が少ない欧米式食生活に由来するものであり、炭水化物ほど糖化が早くない肉類を多く摂る欧米式食生活がデザート(甘いものが多い)を発明したと言われています。
糖化が遅いから満腹感が無く、そのためメインディッシュを平らげてもまだまだ食い足りなく、だから(しかも手っ取り早く糖になる)デザートを食べる習慣ができたとか。
ダイエットのために腹持ちが良い(糖化が遅い)食べ物を多く食べると食い足りなく感じて、さらにデザートが欲しくなる、というのも皮肉な話ですなぁ。
咀嚼する回数と満腹感も密接な関係があり、たくさん噛めば噛むほど満腹感も大きい、と言われています。
だがたくさん噛めば噛むほど食べ物の消化も良くなり、これまたお腹がすくのも早いです。間食も欲しくなる。
満腹感があって腹持ちも良くて糖化が早い、という矛盾した性質の食べ物はありません。
また糖化が早いとそれだけお腹がすくのも早い。糖化して血管に入ってから徐々に熱に変換する糖分もあるにはあるが(つまり腹持ちが良いのと同じ)、これだと(慢性的状態ではないにしろ)血糖値が高い、という事になります。(熱に変わるのが遅い黒砂糖や果物は一時的に血糖値を高めている、という事ですよ・・・)
私としては「意欲」のためにも糖分は欠かせないものですが、さて・・・。
体質が変われば、万事解決するのですかね?元より、食べ物に執着する人間でもないのですが。
10月22日に発売されたばかりだけど、普段なら新しいソフトには慎重な私がなぜこんなに早い時期に「7」などという海のものとも山のものともつかない真新しいOSなんぞ持っているかというと、これは「優待クーポン」つまりオマケ、つまり無料だったからでありますよ。
まぁ・・・不満を言う筋合いでもないんだけどこれ、新規でソフトだけ買うのに比べて物足りないのですよ。
新規でソフトだけ買うと、現在普及している32bit版に64bit版が付いてくるのです。つまり2倍お得。
優待クーポンだと無料という扱いなんだけど、64bit版は付いてこない。なんか詐欺にあったような気分です。
しかしPCがぶっ壊れなければOSのみを買う事になったのだけれど、それだとPCの方は旧態依然なわけで、何ともハッキリしないもやもやした気分ですよ。(新しいPCは別にハイエンドでもないけど、CPUはintelCOREi5、COREi7の廉価版だがクアッドコアの最新モデルではある。ちょっとうれしい)
どうしてビル・ゲイツが大金持ちになれたのか、少し理解できたような気がする。私が彼なら、世間から「せこい商売すんな」と馬鹿にされ罵られるのが嫌で64bit版も付けただろう。羞恥心がある人は金持ちになれません。
何で64bitにこだわるかというと、私が一番よく使うお絵かきソフトはやたらと物理メモリを食うからですよ。
SAIであろうがペインターであろうが、ややもすると70パーセントくらい使っている事がある。
私は詳しくないのでよく知りたい人はググってもらいたいのだが、32bitOSだとどんなにたくさんメモリを積んでも最大3GBまでしか使えない。64bitOSにはこの制約が無いんです。あー64bit版欲しかったなぁ。
ちなみに「7」の32bit版を使っている私にはこちらのソフトが手放せません(64bitOSでもあったほうがいいけど).。
http://www.vector.co.jp/soft/win95/hardware/se109247.html
(Vector めもりーくりーなー)
Vistaの場合XP用ソフトとの互換性が少なくフォトショップも古いものだと使えなかったのですが、だからあらかじめクーポンで付いてくる7Home Premium(旧PCのOSのクラスに応じた「7」が郵送される)から「XPモード」機能がある上位版に買い換えるつもりだったのだけど、何と7Home Premiumでもフォトショップ6.0はサクサク動いてしまう。(SAIもペインターⅩも大丈夫だった) さすがにVistaの評判の悪さに懲りただけはある。
・・・7Home Premiumの64bit版だけ、安く売ってくれませんかね、商売上手のゲイツさん?3千円くらいで(涙
動作は、Vistaよりは軽いですよ。SAIみたいな軽いソフトだと2~3秒で起動してしまう。ちょっと驚いた。
まだインストールしてから2日も経っていないので未知の部分も多いのだけど、今のところ大きな障害は見当たりません。
ただ、自慢ではないけれどウチのPCは最新型といっても過言ではない。発売されて一月もしないCPU(当然新OSでの使用が前提である)載せてるからね。だからウチの状況は多くの人には当てはまらないかと思う。
・・・すまないねぇ、役に立たない「報告」で(笑・・・などと憎まれ口でも叩かないと気が治まらない。何で64bit版がついてこないんだよ。
・・・のっけからOSが「7」のPCを買ったら、やはり64bit版は付いてくるんだろうか?非常に気になるねぇ。
青空文庫で、夢野久作の『死後の恋』を読みました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2380_13349.html
(青空文庫 夢野久作『死後の恋』)
(驚いた事にかなりの長編である、あの『ドグラ・マグラ』まである)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya
/senya0400.html
(松岡正剛の千夜千冊 夢野久作『ドグラ・マグラ』)
私はグロとか残酷描写が大嫌いで、スプラッタ映画など絶対に観ない人間なんだが、なぜか夢野久作には強く惹かれるのです。
おそらくは作品が小説であり、あからさまに残酷描写が画像として突きつけられる事も無く、また夢野久作の狙い自体がグロ趣味そのものの追求ではないからかも知れません。
ロシア革命について調べていたら、それを題材にした夢野久作の『死後の恋』に行き着いたのですよ。
ロシア革命の動乱の最中、白軍の兵士になった二人の若者の、死を超越した、凄絶なほどに美しい恋の物語、といっても夢野久作の事だから一筋縄ではいかない。(若者の一人は実は娘である。腐女子の人は残念だったね)
ネタばれになってしまうのであまり詳しくは書けないのだけど、私は一人の娘の死によって象徴された「文化の死」というものに感銘を受けた。
語り部である頭のおかしな紳士は元々は貴族の出身で、赤軍のスパイの目を恐れて自らの知性と教養、貴族的な芸術愛好の習慣をひた隠しにして身分を偽り生き延びてきた。彼の目に映る革命とは、ツァーリ(ロシア皇帝)を頂点とした支配者階級が育んできた高度に洗練された貴族文化が、粗暴で愚かで下劣な民衆に無残に踏みにじられ破壊される過程でしかない。
そして彼にとってその破壊は、獣のような赤軍兵士たちに陵辱されて殺された、無残ではあるがどこか美しい恋人の死体を見る事で完結する。娘は、臓物をむき出しにした下腹部に、結婚費用になったであろう家宝の宝石を散りばめて死んでいる・・・。
貴族階級とその文化の終焉は、古めかしいが燦然と輝く宝石の一粒一粒に飾られた、美しい少女の屍によって結晶化されたのだ・・・。
この、残酷で血生臭くグロテスクではあるが、奇妙な美しさを湛えた死体が象徴する「文化=芸術の死」によって、夢野久作はヴィリエ・ド・リラダンやユイスマンスに近づいているのではなかろうか。
産業革命以後、民主主義とともに民衆向けの安っぽい大衆文化が出現し、高い教養と素質を要求される高度に洗練された貴族文化は圧倒され、本物の芸術家の目にはそれら本物の文化は消滅してしまうに違いないと映った事だろう。(その俗物ぶりにエワルドを失望させた恋人アリシヤは、資本主義社会特有の立身出世に取り憑かれている。エワルド自身も産業革命のトップランナーである英国の貴族である。英国の貴族は国土の狭さのせいか、大陸諸国の貴族に比べて早くから「実業家」的性格を色濃く持っている)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0953.html
(松岡正剛の千夜千冊 ヴィリエ・ド・リラダン『未來のイヴ』)
【ニコニコ動画】未來のイヴ オーケストラver. フル
搾取され続けた民衆の蜂起と王侯貴族による専制政治の崩壊。または市民階級の台頭と支配階級の没落。
それらの変化によって資本主義社会・大量消費社会が登場した。もはやパトロンたる支配者階級は存在せず、芸術家は大衆に仕える職人と化してしまった。
19世紀の芸術家の多くに見られる懐古的態度の背後には、そのような気分、悲嘆が見られるのだ。
(実際には芸術的素養を持たない貴族も多かったには違いないが、少なくともそれらを嗜むのは必須の教養ではあった。芸術家にしても時には幇間じみたご機嫌取りが必要だっただろうが、芸術的素養が皆無のパトロンの方が上手く言いくるめられて自由が利いたかも知れない)
庶民階級出身のH・G・ウェルズや、労働者階級、貧しい人々に人間的な関心を持ったギッシングのような作家の作品にさえ、来るべき時代への不安と危惧、警戒が多く見られるのである。(そういえばギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』の主人公もユイスマンスの『さかしま』の主人公と同じく、騒がしくなってきた都市を逃れた隠遁者である。ギッシングは素朴な庶民の文化も愛していたが)
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/181.htm
(京都外大付属図書館HP ジョージ・ギッシング 『ヘンリ・ライクロフトの私記』)
http://itu.blog5.fc2.com/blog-entry-234.html
(カタヨリ紙 J・K・ユイスマンス 『さかしま』)
ミームというのは、一言で言うと一方から他方へと伝播そして波及と増殖を繰り返して勢力を拡大する「文化の最小単位」、言い換えると「文化の遺伝子」だそうである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0
実態が簡単に把握できない、少なくとも数字に直したり箱に詰めたりできない「文化」という代物が増殖したり進化したりするというと、まるで生き物のようである。
生物の群れ、またはもっと大きく、「種」そのものを巨大な生き物の個体として考える人も(一部には)あるようだが(地球自体を丸ごと一個の巨大な生物として観るのが「ガイア仮説」である)、ならば「文化」というものも一個の生き物、少なくともその一部と考えても差し支えないと思う。
革命というのは、不当に虐げられてきた被支配層の民衆が(大抵の場合暴力的手段によって)圧制者を覆す行動だが、ではなぜ民衆は革命を起こすのか?
貴族など支配階級がその文化を発展させ維持させるために、民主を抑えつけ搾り取ってきたからではないだろうか?ではなぜ貴族たちにはそこまで民衆を抑えつける必要があったのだろうか?
フランス革命直前、国庫が干上がり国力が傾くほどに王侯貴族たちが贅沢三昧に暮らした。
マリー・アントワネットとルイ16世の頃には、夜毎ベルサイユ宮殿で絢爛豪華な宴が繰り広げられていた。
(面白い事に、ルイ16世もニコライ2世も、ともに地味でどちらかというと家庭的な人物だったらしい。ごくありふれた平民の家庭に生まれた方が彼らも幸せだっただろう)
貴族たちは、文化という暴君に仕える使用人であった、と考える事はできないだろうか?
ロココ趣味は大袈裟で馬鹿馬鹿しく、そのケバケバしさがかえって俗っぽく見えない事も無いが、後のフランス文化は貴族たちがその土台を築いたのだ、と言えないだろうか?(高級フランス料理の元となったのは宮廷料理である)
ひょっとすると、人間は文化という巨大な怪物に仕えるために存在するのではなかろうか。そしてその怪物は多くの民衆を圧迫し苦しめ、不満は暴力として爆発するほどに高まった。
それほどに強大な力を持つのが文化という怪物ではないだろうか。
21世紀の今日、怪物はますます膨れ上がり、さらに愚かになっている。
この文化という白痴の巨獣、中身の無い数字を大量に食らって膨張を続ける化け物は、CDやDVDの売り上げランキングなどの商業上の数字だけでは飽き足らず、アマチュア創作家(数字に惑わされない純然たる創作家)の住む場所にまで押し寄せてきた。
(「正当」な評価と人気は必ずしも一致しない、むしろ一致しない方が多いのは言うまでも無い)
・・・イラストSNSには採点制度もランキングも要らないよ。
王様は裸だ。そうハッキリ言います。
王妃様も裸だ、とは言いません。うぇっへっへ。