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 ちょっと気になった事があったので検索かけてたら、吾妻ひでお先生がある作品を批判している事についての記事が見当たりました。
http://dqnseibai.seesaa.net/article/143573994.html
(ひどいニュース(ノ∀`)『漫画家・吾妻ひでお 「アニメ『けいおん』、作ってる人も見てる人も不気味だ。そんなに現実がイヤなのか?」と批判』:2009年10月19日)

67a31f37.jpeg 2009年10月19日とあるから、約1年ほど前の記事である。えぇ、私にはこういう事が多いのです(笑
 何を面白いと思ったか。
 実は、同じ京都アニメの作品である『らき☆すた』を私が最初に見た時の感想とそっくり同じだったからですよ。

 私の場合、何で『らき☆すた』なる作品があれほどまでに人気が出たのか、どうしても気になったので後日再び見たんですよ。
 ・・・何となく面白さがわかった(ような気がした)。
 あれって、従来的な意味の「面白さ」を追求しちゃいけない作品なんですな。
 いやむしろ、そういう学究的かつ熱血的な要素を排したところに面白さがあるんじゃないかな。そういう点はそのままアニメ『けいおん!』にも言える事かと思う。
 アニメ『けいおん!』は遊びが少ないだけで他の点は空気が『らき☆すた』そっくりか。(意外に地味で真面目な作品です)
 振り返って、吾妻先生の作品はというと・・・、マンガ的・SF的なものをただひたすら追求する姿勢は、もはや求道的ですらある(修道僧とまでは言わないけど)。少なくとも失踪騒ぎを起こすまではそう見えます。

4150307962.01._SCLZZZZZZZ_V46025741_.jpg 吾妻ひでおという作家、ロリコンブーム(萌えのさきがけ)を起こした先駆者(始祖は言うまでも無く手塚)としても有名であり、絵柄の可愛らしさはそのまま、とり・みきや竹本泉といったフォロワーにまで受け継がれています。
(絵柄の可愛らしさが吾妻作品を世に認知させる為に果たした役割は大きいと思う。でなければ不条理SFマンガなんて誰も読まないでしょ)
 その一方、マンガというものの本質的な面白さを追求するその姿勢は、汗水たらして全精力を傾注して研究に打ち込んでいる博識な専門家そのものだったりします。
(これが取りも直さずSF的なものの追求と見事にリンクしている点が興味深い。手塚や弟子格の石ノ森を見ればわかるけど、草創期や古典期のマンガは同時にSFマンガである事が多いのだ。これに赤塚不二夫が加わって日本のギャグマンガの基礎ができ上がる事になる。こういう土台があって初めて吾妻ひでおが登場できた、とも言えるのではないか)
 誤解の無いようにお願いしたいが、何も私は美水かがみ(『らき☆すた』原作者)やかきふらい(『けいおん!』原作者)といったマンガ家や、それらの作家の作品をアニメ化した京アニのスタッフの事を「やる気」が無いとか、創作行為をバカにしている、というつもりはサラサラ無いのです。
 何かを創作する人ならわかると思うけど、不真面目な態度でいい加減に作られた作品が受け手に感銘を与える事はほとんど無い。それどころか一生懸命にこしらえた作品ですら受けるとは限らないのです(涙
 ゆるゆるなムードを漂わせた作品はマンガやアニメやゲームに限らず流行っているけど、実際にそれらを作っている人たちは、吾妻先生に負けないくらい作品に心血を注いでいる場合がほとんどだと思う。
(京アニ作品を見れば一目瞭然だけど、実に完成度が高い。よく動くし作画の破綻も少ない。ちょっとばかり売れたマンガやラノベを低予算・短時日でアニメ化した安物とは明らかに違う。格調高さすら感じさせる)

img_1496338_52417509_6.jpg 要するに、計算した上で努力した「ゆるゆる」なんですよ、アニメの『けいおん!』の魅力って。現実生活にくたびれた人にだけわかる魅力があるんです。
 吾妻先生はそこのところが読み取れなかったに違いない。
 で、いつもどおりの気迫を持って鑑賞した、と。
 だから「録画してあったTBSアニメの『けいおん!』観る。空虚だ。ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも何もない。ちょっとしたフェティシズムがあるだけ。このアニメ作ってる人も見てる人々も不気味。そんなに現実イヤなのか?この気持ち悪さはメイドカフェにも通じるものがあるな。原作のかきふらい『けいおん1』読んでみたらまァまァのほほえましいほのぼの4コマ漫画だ。原作生かせよ!」という発言になるんですよ。「ゆるゆる」も追求すべき要素だって事に気づいていない。
 それに「ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも」受け取ったりするのってちょっとくたびれるでしょ。現実生活が嫌なんじゃなくて、少しの間だけ逃避したいだけ。プチ社員旅行みたいなものです。
 そもそも全力で現実逃避する事を世のインテリや若年層に吹き込んだのは吾妻先生の方じゃないですか(笑
 居住まい正してマナジリ決して画面に食らいつくようにして見るアニメじゃないのだ『けいおん!』は。
 私が二度目に『らき☆すた』を見た時は、ちょうどいい具合に心も身体もくたびれていたんですよ。
 何も考えずにボーっとして見てた。と、全体に漂うゆるゆる感が程よく沁みる。癒されますよ。
13e8b2abb95cad93254c-L.jpg こういう時は逆にエヴァみたいな難解な作品は見ちゃダメです。そういうのは気力も体力も充実してる時に見るもんです。そのために気力も体力も取っておくべきなんですよ。
 エヴァを見るために『らき☆すた』や『けいおん!』がある、と言うと失礼か(笑 でもその逆もまた真なり、なわけで。これら対照的な性質を持つ作品を組み合わせて鑑賞する事をオススメしますよ。

 おそらく、吾妻作品をただの時代遅れとしか評価できない若い人も少なくないと思う。
 だが、こういう連中はまず自分の間口、肯定できる価値の範囲を拡げるべきだと思う。(意外に思われるかも知れないが、思い込みの激しい若年層の方が柔軟性に乏しい事も多いのだ)
 豊穣なイマジネーションが拡がる、豊かな世界ですよ吾妻ひでおワールドって。
img_1496338_52417509_5.jpg 「ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも」いっぱいあります。高度成長期やバブル期特有の暑苦しくもにぎやかな世界ですよ。
 ただ、うつ病が国民病にまでなっている現代の必須栄養素「ゆるゆる」だけが欠けてはいるけれど。
 対極的なものだから仕方が無いか。
 吾妻先生本人はうつ病患者なのが不思議だね。

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 おひさしぶりです(笑
 
 少し前から「チェブラーシカ」にハマってたりします。


 私は東欧やロシアで盛んな、あれらの国々独特のアニメが好きで時々無性に見たくなるんですよ。
 人形アニメ、この、日本や西欧やアメリカではほとんど見向きもされなくなったジャンルにいいものが多いですな。
(アメリカで近年たくさん作られるようになった3DCGアニメ、あれは人形アニメの変化したものかも知れない。チェコの人形アニメは第二次大戦以前からの長い伝統を誇るもので、これはさすがのナチス・ドイツも弾圧の対象にしなかったから生き延びる事ができたそうな。自国に優れた作家を持つ旧ソ連も、衛星国のこの文化を同様に扱ったのだろう)
 
 上の動画は、サルともクマとも付かない正体不明の生き物であるチェブラーシカと親友であるワニのゲーナ。
 最初、私はワニのゲーナというキャラに馴染めなかったのですよ。長い鼻面に鋭い歯が並んだ大きな口。
 一般にワニという大きな爬虫類は獰猛な肉食動物、というイメージが強い。実際に、やや小型のアリゲーターは滅多に人を襲わない(全く襲わないわけではないようだ)が、大型で外見に似合わず知能が高い(イヌやネコと大差無いらしい)クロコダイル種は毎年何人かの犠牲者を出す「マンイーター」である。
  ワニのゲーナはアフリカ出身であり、ナイル河にお祖母さんが済んでいるらしい。つまりクロコダイルなのである。(古代エジプトでも信仰の対象にされていた)
 ・・・若い頃は結構やんちゃしてたんじゃなかろうか(笑 でも50歳の彼は誠実で心優しい紳士である。
 
 物語は果物屋のオレンジの木箱からチェブラーシカが発見されるところから始まる。
 果物屋のおじさんは最初に動物園に連れて行くが、守衛のおじいさん(小銃を持っているのがいかにも旧ソ連らしい)が言うには「こいつはここでは引き取れないよ、学問上何という動物かわからないからね」。
(この動物園はゲーナの「職場」でもある。彼は「ワニ」として働いており、家から毎日出勤している)
 次に連れて行かれたおもちゃ屋でショーウィンドーで客引きの仕事をする事になるのだが、自分が何者であるかわからない、つまり社会に居場所が見当たらない彼は一人ぼっちのままである。(何者なのかわからない物珍しさが店の宣伝には役に立つ、と考えられた)
 同じ頃、一人暮らしをする孤独なゲーナは友達募集の貼り紙を作っていた。(当時インターネットはまだ無い。ちなみに原作の絵本では元々ゲーナが主人公) 
 町のあちこちに貼られた貼り紙を見たチェブラーシカ(彼の仮の住まいである電話ボックスにも貼られていた)をはじめ、様々な人たちがゲーナの家に集まる。
 一人ぼっちなのが自分一人ではない事を知ったゲーナは、一人ぼっちの人たちが集まる家を建てる事を思いつく。
 他人に意地悪をする事に喜びを見出すシャパクリャクばあさん(彼女も孤独なのだ)の妨害を撥ね退け、10日後ついに家は完成する。工事に携わった人たち(人間も居れば、キリンやライオン、イヌもネコもサルも居る。ライオンのレフ・チャンドルと子犬のトービクはゲーナの「友達募集」の貼り紙が元で知り合った間柄)は一緒に一つの目的に向かって努力する、という過程で仲良くなり、家が完成した頃にはすっかり友達になっていた。
 孤独な人たちが集まる家、ではなく、一緒に助け合って家を建てる、という行為が大事だった。家は幼稚園として活用される事になり、チェブラーシカはそこで働く事になる、というのが第1話のストーリーである。
 要するに、アイデンティティと自分の居場所をめぐる物語なのだ。

 第一作が作られたのが1969年。ソ連崩壊など夢のまた夢、米ソ二大超大国が核兵器を抱えてにらみ合っていた冷戦真っ只中の時代である。高度成長期の日本のGNPは前年の68年に資本主義諸国中で第二位に達している。68年の北ベトナム軍によるテト攻勢に衝撃を受けたアメリカが和平も選択肢に加えた頃か。
 どこの国でも、全ての人間が「何者か」である事を要求された時代だった。
(価値観の多様化というものは、冷戦構造が無くなった、いわば「大きな物語」が消滅してからの現象である。何が悪で誰が悪者で、何が正しくて誰が正義か、そういう事をハッキリさせなければならない時代が長く続き、そういう時代の社会では人は必ず、何者かでなくてはならなかった)
 意地悪い物の見方をすれば、チェブラーシカという人形アニメにプロパガンダ臭が臭わないわけではない。
 チェブラーシカは一見背格好や行動・言動からして、人間の幼稚園児相当の存在かと思われる。
 だが社会で働く事を義務と感じ、また憧れてさえいる(アイデンティティとは社会に参加する事である)。
 孤独な人たちが集まるための家を作る、という作業にも、共産主義国お得意の「団結」「労働」「建設」というモットーが見え隠れするようだ。共に働く事が、孤独からの解放につながる、という事か。
 「正体不明」のチェブラーシカは、労働に参加する事によって居場所を得たのである。
(ワニのゲーナでさえ動物園の従業員の一人である。動物も「労働者」であらねばならないお国柄か)
 北朝鮮の子供向けプロパガンダアニメを見た事があるのだけど、あれに比べればチェブラーシカははるかに政治臭が薄い。意識して見なければ気づかない。でなければ世界中で愛されるキャラクターにはなれなかっただろう。


 21世紀に入ってからチェブラーシカが有名になった日本だが、愛される理由の一つはやはりテーマだろうか。
 価値観の多様化が叫ばれ、文化的にも政治的にも少量多品目生産が当たり前になって久しいが、そのフリーダムな状況(善も悪も無い)ゆえに指針を見失って道に迷い、生き方がわからず孤独に陥る人は急増したのじゃないだろうか。自由ってある意味、大変なんですよ。自由なりに。
 共産主義国であった旧ソ連では、現代の日本ほど孤独に苦しむ人は居なかったのかも知れない。
 孤独な人が多い21世紀初めの日本だからこそ、チェブラーシカは殊更に愛されるのだろう。

 
 

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 ちょっと前に、ある人物に送ったメールからの抜粋です。
 私なりに「友達」「ライヴァル」「絆」または「愛」というものについて語ったものです。


 私もどちらかというと萌え系のアニメやゲーム、マンガはあまり好みません。
 今すぐ思いつくだけ、手放しで「大好き!」と言えるものを挙げると、アニメでは、『カウボーイ・ビバップ』『LAST EXILE』『SAMURAI7』『ドルアーガの塔』『天元突破グレンラガン』『さよなら絶望先生』あたりですかね。マンガやゲームにはさほど執着しなくなりました。
 『ガングレイヴ』は私も最後まで見ましたよ、あれは面白かった。
 
 普通ならヤクザとかマフィアとか安っぽいVシネが好みそうな題材や、残酷シーンが多い作品には全く近づかない私ですが、それでも最終話まで見たというのは、相当面白かった、という事でしょうね。(『カウボーイ・ビバップ』のスパイクが元「組織」の人間である、と知った時にはちょっと失望しました。ありきたりで安易な設定だと思います)
 萌え系作品も主に人間関係を扱ってますが、女性原理から見た人間関係は融和、というか密着したもの・甘やかしあうものと、それを受け容れない対立者との闘争をテーマにしています。悪く言えばベタベタした馴れ合いと陰湿で陰険な苛め合いが主軸になった話が多いのですよ。(女性作家の描くマンガって「いじめ」を扱ったもの、多くないですか?甲子園を目指す野球部員がチームメイトのグローブに画鋲を仕込む野球マンガなんか無いでしょう?)
 男性が好む萌え系作品はさすがに陰湿なものは少ないと思いますが、それは男性が風通しの良い人間関係を好むからであり、だから能天気で無邪気な(頭悪そうな)ハーレム物語も少なくないんですね。ただやはりベタベタしたものは多いかと思います。ヤンデレ物のどこがいいのか私には理解できません。・・・やっぱ真性の萌えヲタって女性的な男なんでしょうね。
 『ガングレイヴ』のテーマは「友達」だと思うんですが(「友情」って言葉は陳腐で好きじゃないです。最近は腐女子が好んで使いそうでさらに嫌な言葉になりました)、男同士の「絆」というものにはベタベタした感触が無く、半ば突き放したようでありながら、でも人として肝心な部分では強くしっかり結びついているものではないかと思います。常に軽い、心地よい緊張があるんですね、友達と言う関係には。お互いを認め合うとはそういう事だと思います。
 「友達」というものは対等な者同士の付き合いであり、これは大人と子供という歳の離れた関係でもあり得るものなんですよ。『ONE PIECE』でいうところの赤毛のシャンクスと子供ルフィも親友同士ではないか、と思います。
 相手に独立した一個の人格を認め、それを尊重しあうのが友達なんですよ。だから「好敵手(ライヴァル)と書いて「友」と呼ぶ」なんて言葉もありますね。
 『ガングレイヴ』のブランドンとハリーは、だから殺しあうようになっても、心の底では相手を「友」として認めているんですよ。ラストシーンは私も目頭が熱くなりました。(バイオレンス物をきちんと理解した脚本と演出でもあります。血生臭い物語には時々叙情的な場面が必要です)
 松本零士の戦場マンガでも、敵同士である日米の狙撃兵が一度も相手の顔を知らないうちに同士討ちで死んでしまう話がありますが、これなどもそうでしょうか。(そういう映画がありましたね、あれは『スターリングラード』だったかな)
 二人は共に元・猟師で、獲物を待ちロックオンできるまで耐え忍ぶ時の孤独を知る者であります。こういう時間を過ごす猟師にとって、唯一の対話の相手は、これから自分が殺すであろう獲物なんですよ。獲物が親友なんですね。
 女性には理解しにくい感情でしょうが、生命のやり取りが真摯なものである場合、双方は友となるのです。
 ブランドンとハリーは施設で兄弟のようにして育った孤児であり、だからこそなおさら殺し合いも真摯なものとなります。
 洋の東西を問わず決闘、デュエルが神聖なものであるのは言うまでもありませんが、これは互いを認め合った対等の立場の二人の、人として、友としての無骨な、それでいて真剣な交流が根底にあるからです。男はいつも、友達と対峙している生き物なんですよ。武道の礼といいスポーツマンシップといい、相手を尊重するのは、これは取りも直さず自分自身を褒め称える行為でもあります。「立派な相手と闘う俺も、それなりに立派な人間なんだぜ」と。
 だから、親友というある意味神聖な関係を、緊張の無いベタベタしたホモ関係とごっちゃにする腐女子は男から猛烈に嫌われるのですね。人としてとても大事なものを汚された気がするんですよ、腐女子どもの汚らしい妄想には。
 男が二人歩いているだけで妄想をたくましくする頭の悪い腐女子は、本当に友達が一人も居ない、さびしい人間だと思いますよ。(男は女の子が二人歩いていても百合だとは思わないでしょ普通)。

 アイマスの菊地真というキャラにはファンが多いですが、これは真が良い意味で男っぽくて女性特有のベタベタした感じが無く、その反面昔風の乙女チックな趣味を隠し持っている、「今風」の清純派だからでしょう。
 また男と趣味を共有できるという事は、恋人であると同時に友達でもあり得るわけで、浮ついた恋愛関係以上に強い絆が期待できるからかも知れません。
(まぁ長続きする恋人や夫婦って仲の良い友達である場合が大半ですが)
(私は最初、真を男だと思ってました。アイマスにも男のアイドルが居るんだな、と。でも動いてる画を見るとすごくかわいいんですよ、まこちん。手塚治虫の作品にはサファイアや和登サンなど、ボーイッシュな少女が活躍するものがありますが、いずれも同時に母性愛の強いキャラであります。チャラチャラした軽薄な尻軽女じゃない分だけ、ボーイッシュな女性の方が母性的であるのかも知れません。一見男っぽく見える女の子の方が実は女っぽい、というのは興味深いですね。真もすごくいいお母さんになるかと思います)

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 いやまぁ、放置しとこうとも思いましたけどね、あまりブログのアクセスも伸びてないようだからもうちょいいじっとこうと考えました。前に応酬があった時は少ない日でもアクセス(ユニークユーザー)が3ケタ台はあったんですが、おとつい昨日ともに30かそこいら(ブログペットでのカウント)しか増えてないんですよ。ちょっとがっかりしました(笑 最近は過疎ってるんすかねぇ。しろきつね先生も復帰第一作(笑)以降は沈黙したまんまだし。

 しかしヲチ民ていい加減ですよねぇ、ランキングの形骸化を叫んでランカー様をイナゴだの「営業努力」だの自作自演だのと叩いておきながら、嫌いな相手が評価低いと底辺呼ばわりするんだから(笑 オレがランカー様でもやっぱ叩くんでしょ?(笑 そもそもユーザーの8割がROM専のイラストSNS(笑)に評価もランキングも無いもんだ(笑 要するにヲチ民とは、強固な思想的足場に両脚ふんばっていない、地に足の着いていない連中なんですよ。少なくともオレはイナゴじゃないし営業努力もしていない。自作自演など持っての他だ。
(まぁ、東方キャラの一つや二つくらいは描いてもいいかな、とは思ってる。みんな描いてるもんねぇ、今さらイナゴでもないだろ。周りが描いてると自分一人描かないのも付き合い悪いみたいだし。オレも日本人だね^^)
 大体自分のブログでコテハンで意見を述べてる者と、匿名で気分次第で一個人を貶しまくってる(反面自分独自の意見を持たない)ヘタレの卑怯な小心者と、どこがどう同じに見えるんだろ(笑
 人の事を正義の味方気取りとか言っちゃってるけど、中二病患者ほど悪を気取りたがるもんじゃないの?中学生とか、よく喫煙とか万引きとか自慢したがるじゃんか(笑 正義の味方には思想と秩序が付き物だが、悪人は思想を持たず無秩序を好む。少なくとも己が信念に則って行動する者は自分を悪人だとは思っていないよ。
 誰かを貶す事しか知らない無思想で無知無教養な輩は、まぁせいぜい小悪人にしかなれないわなぁ(笑
 あー、オレの発言をシャドーボクシングなんて言わない方がいいよ。未だにヲチ民である事にアイデンティティー見出してるかわいそうな古参(笑)も居るからさぁ(笑 彼らの存在を認知してあげてよ(笑
 そもそもオレが茶化してる対象であるヲチ民が存在しない相手だとしたら、オレを攻撃してる哀れな人たちって何者なのさ?彼らが存在しないとしたら、彼らが攻撃してるオレも存在しないって事になるけど、それでよござんすか?お互いシャドーボクシングって言い合うのは惨めじゃないか、やめとこうよ(笑
 ちなみに私はハッキリ言ってマサオさんが大嫌いです(笑 でもこう言うとまたまた「嫉妬乙」とか言うんでしょ?同じ口で「マサオキメェ!」とか「イナゴ野郎」とか「運営の犬」とか言っときながら(笑
 自分のブログでコテハンで「マサオさん、私はあなたが大嫌いです」と言うのと、ヲチスレやニコ静で匿名で「マサオ氏ね」と言うのと、果たして同じようなものかねぇ。
(別に彼が毎日毎日ランキング上位に居座ってようが一向に構いませんよ。ただ彼の絵をサムネでさえ目にする事が苦痛なだけです。他に何も要らんから、とにかくランキング上位のサムネ非表示機能だけは付けてくれ。それがあればプレミアム入会も前向きに検討するよw)
 ニコニコ静画ってコメントがたった60字しか書けないんだけど、どのみち人の悪口しか言えない連中にはお似合いかもなぁ。
http://seiga.nicovideo.jp/bbs/sg7361/18



 あ、話はガラリと変わりますが、この夏、とうとう『METAL MAX』が完全新作のDSソフトとして帰ってきますね。

 制作スタッフもミヤ王とか山本貴嗣とか門倉聡とか、オリジナルの人が揃ってます。今度こそは大丈夫か?
 商標問題はクリアできたのかな?『メタルマックス』という名前が使えなくなってから『メタルサーガ』とシリーズを改称したんだけどね(私は『砂塵の鎖』しかやってません。他のがあまりに酷評されまくってたので)。
 別にAmazonからお金もらってないけど↓売れたら次回作も期待できるでしょ?
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003JKK2FG/ref=s9_simh_gw_p63_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=09ZAS7Q8F9NEF322FZJ8&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986
バイクは力入ってるけど、主人公メカは結構いい加減(笑





 この絵を描いてるのは廣岡政樹という人かな?人間をしっかり描けるいい絵描きさんですな。二輪車が好きらしい。今回のMM(ファンはこう呼びます)には「戦車」としてバイクも登場するらしい。それでか。
 過去にはバスやトラクター、救急車(笑)やはしご車までが「戦車」として登場していたけど、意外にもバイクは初めてである。
 私はゲーム制作については何も知らないけど、このシリーズにはぜひとも参加してみたいなぁ、と思う。
 戦車として登場する車体それぞれの特性を生かした戦略バトルというのがあっても良いと思う。つまり戦略シミュレーションRPGですよ(『オーガバトル』は面白いね)。
 例えば自走砲(非装甲または軽い装甲の車体に大きな大砲を積んだ車両。後方からの遠距離射撃で前面で戦う主力戦車を支援する)とか歩兵戦闘車(昔は兵員輸送車と言った。歩兵を安全に輸送しつつ、戦闘時には内部から歩兵も戦闘に参加できる車輌)とか、様々な戦い方があると思うんですよ。
 バイクが登場するのならナポレオン戦争頃の騎兵みたいに、敵を側面や後方から撹乱したりできるんじゃないかな。乗るのはもちろんソルジャーで、走りながら武器を乱射するんですよ。逃げ足の速い「カミカゼキング」あたりに有効かも。
 私が中々戦車を描けないのも、こういうゲームをやりこんでるからなんでしょうね。『エースコンバット』とか『WarBirds』やりこんでたら雷電描けなかったかも知れない。
 いずれは赤いメルカバとかも描きたいなぁ。(イスラム圏ではこのゲーム、売りにくいだろうね^^)

  これ、予約するかなぁ・・・一番好きなゲームなんですよ、メタルマックスって。
 まずDSも買わないとね(笑

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 身を入れて絵を描くと疲れますな。それでも自分としては本気では描けてないと思う。子どもの頃はそれこそ夢中になって紙にかじりついてたもんですが。今見れば見れたもんじゃないが、本気ではあったような・・・。
 大人は何かと疲れます。だから時々文でも書いて息抜きをするのだ。
 

ルララほにほに いつも か~みあわなぁい♪ 子供、といえば、最近『ぽてまよ』なんか見てますよ私。いや、あの「生き物」は年齢も性別も(いやそれどころか種族さえも)不明ですけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BD%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%82%88
 まったりした空気の中、あの小さな生き物が小さな大騒動を巻き起こす様子が実にいい。癒されるのか笑わされるのかわからんが。
 で、何となく思い出したのが『びんちょうタン』。あれはギャグこそ少ないが視聴者が癒される要素が共通かと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B3%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%BF%E3%83%B3
 実は私、『びんちょうタン』のアニメ、第一話は繰り返し6回も見たんですよ。それくらい癒されたんですな。
 まぁ『ぽてまよ』、テンプレ部分は伝統的な藤子「的」アニメだと思うんですが。
 子どもが居る家庭に人間以外のキャラがある日突然現れて居候をし始める、というパターンはもはや児童マンガでは外せない王道設定かと思う。『ぽてまよ』もこの点は全くブレてない。
備長炭。ウェールズ生まれのあの子はカーディフたん。 違うのは、その居候キャラが居候先の主人公(のび太とドラえもんはどちらが主人公かハッキリしないけど)より格段に年下(年齢不詳だが行動様式が幼児そのものである)で、何一つ得意分野を持たない、つまり居候先の家庭に実際的な貢献をしない全くのパラサイトだという点か。
 藤子マンガの場合、居候キャラは何らかの「技」を持っている事が多い。ドラえもんなどは四次元ポケットから様々な「ひみつどうぐ」を(時には渋々ながら)取り出してはのび太を助けているけど、他のマンガでも「発明家キャラ」または特殊技能キャラがセットになっているケースが少なくない。
(海外ではDORAEMONがむしろNobitaの自立を妨げている、という批判もある。一応ドラえもんもその点は十分承知してるから時として断固拒否する場面もあるんだが。というか道具出さないと話が始まらないよ)
 『ぽてまよ』は何もできない。彼女(?)はただ食べて騒いで、時々おもらしをするだけである。
 皆から愛され、可愛がられ、育てられているだけなのだ。これって、まんま普通の幼児だね。
 つまり、伝統的な藤子テンプレこそ借りてはいるが全くの別物、従来の居候キャラとは異なるのである。
 『ぽてまよ』が自立して一人暮らしを始めると、これはそのまま『びんちょうタン』である(彼女も外見は小学生くらいか)。いいですよ『びんちょうタン』、すごく癒されて。ちなみにどちらもナレーターは井上喜久子さんである。

 欠かさず見てるアニメというと『けいおん!!』(感嘆符が二つになってる)もそうなんですが、こちらもキャラの顔が癒し系だと思う。
原作者だかキャラデザ兼任の作監だかも言ってるがUPだと澪と梓は見分けが付かないt.png 『けいおん!』(つまり第一期)に幼児期の平沢姉妹が登場する話があったんですけど、顔がほとんど10代半ばの現在と変わらないんですよ。つまり堀口悠紀子キャラってベースが幼児顔なんですね。唯の表情なんか、幼稚園児によく見られるものじゃないかと思う。
 加えて、『けいおん!!』のキャラは手足が短く、手首足首が小さい。幼児体型なんですよ。
 (最近よく見かける絵柄ですな。手首足首が小さいキャラって。これも描きやすいからかな)
 まぁ平沢唯って女の子は高校生とは思えないくらい幼い性格してますが。(あれは天然系とは違うと思う。行動全体が幼いからね。妹の方がしっかり者というのはよくあるパターンだけど、妹から「かわいい」だの「あたたかい」だの言われて可愛がられる姉って・・・。居候じゃないけど妹が居ないとやっていけない頼りないお姉ちゃんですな)
 つまり平沢唯も「お世話されキャラ」という点が『ぽてまよ』と共通するわけです。ある意味、癒し系か。

銅鑼右衛門。コロ助じゃないよ。 昨今は他者に依存するタイプのパラサイト系癒しキャラが定着しつつあるのかもね。
 藤子マンガの黄金時代は居候キャラは友達という立ち位置だったけど、近年「面倒見られキャラ」が増えたのは需要層の年齢が高くなったり、あるいは「友情」より「愛情」が必要とされているからだろうか。(大人も子供から愛情を補給しているのだ)
 『ぽてまよ』は萌えの文脈で語られる場合もあるんだろうけど、性的要素(萌えキャラの多くが性的には成熟している一方で子供の顔をした若い女である。まず仮想的恋愛対象だからね)の有無とは無関係に、萌えも癒しの要素が大きいのだろう。
 最近は藤子キャラのドラえもんなども若い女性のファンが増えていると聞く。「かわいい」のだそうだ。
 大人になっても藤子マンガを愛する人は多いけど、これは大人になった今、子供時代の「友情」を懐かしんで癒されるという効果もあるのだろう。(追憶には癒しの効果がある、と脳科学者の池谷さんも言ってるね)
 『ぽてまよ』あたりは、癒しという技に特化した居候キャラなのかも知れない。
 

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