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 性格が気まぐれでわがままで、担当さん(恐怖の手塚番!)にとっては魔神だった。ガローン。 手塚治虫にしても最近物故者となった赤塚不二雄にしても、「マンガばかり読んでいる人に面白いマンガは描けません」と言い、同様の発言は富野由悠季や「元祖ロリコン・メカフェチ」パヤヲにもある。
 つまり、ユニークな作家性を持ち、独創的な仕事をするには、多本面から様々な知識情報を吸収し、己が目の前にある題材を多角的に見つめ、自分独自の価値観と切り口・技術を持たねばならない、という事だ。
 (オーネット・コールマンはインタヴューで、「あなたはウェーベルンなどの作曲家の十二音技法から影響を色濃く受けられているように見受けられますが?」と言われて、「いゃ、どちらかというとジャクソン・ポロックの絵画にインスピレーションを受けています」と応えている)
 こういう主張はずいぶん昔、それこそ手塚や赤塚がバリバリの現役だった頃から散々言われていた事で、自分なりの個性・作家性の確立に苦心惨憺する創作家なら一再ならず目にし耳にしてきた事なのだが、これを改めて単刀直入にヲタク人種に突きつける(つまり評論家みたいに本にするんじゃなくて)人はそんなにいなかったのではないかと思う。
 こういう文章を見つけた。
http://anond.hatelabo.jp/20081118225445
 こういう議論は、ヲタク文化とは何か、ヲタクという人種は如何なるものか、というところから始めないと乱暴な飛躍に陥りやすいのだが、この文章を書いた人が指すのは、おそらくはマンガやアニメやゲームに作家性や個性を求めず、ただ「それっぽい、甘ったるくて軽薄で、誰が作者でも同じ作風・完成度で誰が作者かなんて誰も気にしない、量産された没個性なコンテンツ群」とそれに耽溺する愛好家であろう。
 ・・・より具体的には、萌え文化と萌えヲタ。

 完成品は絵サイトの方に置いてあります。ネタ絵としてもすごく力を入れてただけに非常に遺憾な結果だった。萌えヲタ、滅べ。 自分自身の経験で恐縮なんだけど、今年の節分の頃に朝目新聞にラムちゃんの絵を投稿したんですよ。
 節分当日に間に合わせるため、強行軍で大急ぎで描いたものであるが、それでものべ数時間はかかった。
 諸星あたるのあまりの女癖の悪さに心底激怒したラムがヤンデレ化し、ついに氷のような微笑を浮かべてダーリンを焼き殺す(あくまで暗示だけだが)、その数秒前、という内容なのだが、これが全く受けなかった。
 私は決して高橋留美子の熱心なファンでは無く、単行本も一冊も持っていないのだが、彼女が恋に身を焦がす怖ろしげな女の情念を描く作家である、というその作家性には気付いていた。
 ・・・本質的には、ラムは「隠れヤンデレ」なのですよ。これはコミックス最終話の最後のページのラムの表情を見れば誰にでもわかる事だ。(正直、私はこれを見てゾッとした。ラムは「娘道上寺」の清姫直系の子孫だ)
 この絵を投稿して数時間後、別の人が(節分に遅れながらも)同じくラムを描いた絵を投稿した。
 こちらは私の絵と違い、あくまでラムを可愛く、萌えキャラのように描いたものだった。
 ・・・すごく受けていた。コメントも無く閑古鳥の鳴いていた私の絵と違って。
 (ひがみのように聞こえるかも知れないが、デッサンも構図も酷いものだった。せめてもう少し丁寧に描けよ。線くらい整理しろ。どうせ遅れたんだから)
 私が朝目新聞という投稿サイトとその住人(多分大部分はROMだろう。コメント書いてる者は間違いなくその通り)の「質」に根源的な疑問を抱いたのはこの時だった。
 ラムというキャラクターの本質を見極めた絵でも、それを歪曲してただ可愛く描いただけのヘタクソな萌え絵(ハッキリ断言する。ヘタな絵だった)には負けてしまうのですよ。
 「敗因」は二つある。
 私の絵のラムはちっとも可愛くなく(そらそうだろう。だが高橋留美子が描きたかったラムにはかなり接近している)、萌えヲタが萌えようが無い絵だった。
 加えて、受けた方の絵と比べ、個性が強かった。
 女性キャラにぬるい幻想を抱いている愚劣な萌えヲタには到底受け入れられるはずの無い絵だったのである。(私は馬鹿や低能に頭から冷や水をぶっかけるのが大好きだ)
 
 アニヲタ、より具体的には萌えヲタという人種は、執拗なまでに「萌え」を追求する。
 それこそ、水に餓えた漂流者のように。
 「萌え」そのもの、そのエッセンス以外の要素、例えば女性という生き物の嫌な面(というか人間の醜い影の部分。好意的に言うと「人間臭さ」)などが絵に含まれていると、鼻息を荒くしてたちまち排斥にかかる。
 それどころか、少しでも現実の人間に近くなれば、見苦しいほど激しい拒否反応を示す。
 だから萌え絵はどれもこれも似たような表情・ポーズ・構図・彩色・塗りなのだ。
 平面的で、質感や量感・立体感(いずれもリアリティに必須の要素)の欠落した、軽薄な絵ばかり。
 ・・・個性(と技術。創作に於ける技術は個性・作家性に直結している)は、作家性は混入した異物以外の何者でもない、という事だ。
 これって、何かと似ていないか?
 マリア様がみてる。「見てる」じゃなくて「みてる」だ。 そう。仏像、またはキリスト教のイコンである。
 これらには個性、作家性は無用どころか、むしろそれらは人間臭さとして抑えつけられ削り取られる。
 宗教は人間性を超越したものであり、永遠普遍なる神に人間性はあってはならない狭雑物なのだ。
 (キリスト教の寺院では、イコンや磔刑像を修行の一環も兼ねて内職で製造しているところもある。これは美大出身の僧侶にはそれこそ苦行だろう。作家性を出してはいけないのだから)
 「萌え」こそは、神を見失った現代日本人の宗教なのだ。
 (きっと昔はキリスト教徒も「マリア様萌え~(はぁと」とかほざいていたに違いない。そういえば萌えヲタも「処女崇拝」だよなぁwww)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1190550.html
 私が美少女フィギュアに対して感じていたのも、多分同じ感触だろう。だから馴染めなかったのだ。
 NHKの番組で美少女フィギュアには美的側面、つまり作家性も濃厚に存在する(人気造形師は高く評価されている)という事を知らなかったなら、やはり偏見を持ったままだっただろう。
 宗教嫌いで、民話や伝説に登場する「荒ぶる神」などは人類の英知である科学技術で、わかりやすく言えば「超兵器」で抹殺せよ!とさえ考えている私が、萌えヲタに常々感じている不快感と苛立ち。それは新興宗教の熱心な信者に感じるあの嫌悪感と根源では同質だったわけだ。
 旧約聖書に登場する「神」には、私は反発しか感じない。自分の気分次第で人の生命を奪ったりしているからだ(ソドムとゴモラ、ロトとその家族以外に善人がいなかったって、信じられますか?確率的に考えてもそれはありえない話だ。こんな横暴な神など要らぬ。リストラしろクビにしろ。ヤハウェお前何様だ。神様か)。
 ウルトラマンなどの特撮ヒーロー物の多くに対する私の不満は、襲来する怪獣の脅威には人間はほとんど無力で、いくらがんばっても結局は歯が立たず、怪獣退治は余所者であるウルトラマンにほとんど丸投げ、という点だった。たかがトカゲの親方を相手に、情けなさ過ぎるぞ防衛軍!
 他人に依存するなよ甘えるなよ。別に日米安保反対とか憲法第9条改正とか叫ばないけど。
 (同じ特撮映画でも、人類の英知が勝利を収めるものは大好きだ。努力は報われるべきだと思わないか?)
 綾波に萌えてはいけない。彼女は「母親」だからだ。 フロイトやユングを読む人ならご存知だろうが、人間の人格の最初の成長は「自立」「親離れ」だが、それらの段階で起こる若者の心の変化を「親殺し」(実際に殺したら犯罪だが)と呼ぶ。
 フロイトやユングお得意の「夢」(眠っている時に見るアレ)では、「英雄の怪物退治」またはそれに類するヴァリエーションで人の意識上に現れる。(人気ある怪物は竜。他に大ダコなども)
 だからウルトラマンを無批判に絶賛する特撮ヲタは「自立」も「親離れ」も本当の意味ではできていないガキ、という事になる。萌えヲタと同類という事だ。
 究極のヲタアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が「神殺し」、そして「父と子」の確執を主題としているのは意味深である。
 (「使徒」ってどう見ても怪獣だよな。天使には見えない。初期キリスト教の天使のイメージもあんな感じだったそうな。背中に羽根生やしたエロいカッコした巨乳のおねいさんでは決してなかった(笑 庵野秀明は特撮ファンだがヲタク嫌いでもある。かつての同志の「ヲタキング」岡田斗司夫とのヲタ論争は有名)

 言うまでも無く、宗教的熱狂と激しい恋愛感情と性欲は同根のものであり、これらは深いところで密接につながっている。
 (女犯妻帯を許さない宗教は数多い。立川流など、反対にセックスを教義に取り込んだ宗教も実は多いのだ。現代ではほとんどカルト扱いだけどね)
 思春期の男性は二次性徴期に伴う性欲の亢進に悩まされ、常にセックスのパートナーを物色する破目になる。
 だが、現実の女性は童貞の男性が夢想するような甘く清らかな存在ではなく(もちろん同時にそういう面も多分に持ち合わせているのが女性だが)、汚らしい部分を少なからず持ち合わせているものだ。
 美女美少女は大抵の場合「非処女」で(オレがそう言ってるんじゃないよ!別にいいじゃん非処女でも)、化粧していない素顔は至近距離で見ると肌の粒子が粗く(白磁のような肌など無い)、物を食えばウ○コもする(ウ○コを食うスカトロ趣味の変態さんはここでは考慮しません)。
 本物の女はアニメやゲームの「美少女」ほど美しくは無いのだ。それを嫌がる脳内の住人も一部には存在するらしい。
 また、現実の女性は恋愛シミュレーションゲーム(18禁物だとエロゲ)の登場人物ほど簡単には陥落してくれない。実際の人間関係には安易なフラグなどありはしないのだ。
 私にも経験はあるが(男ならみんなあるよ)、初めての「告白」は怖ろしく勇気を必要とする。
 なぜか。劣等感に苛まれがちで不安定な若い自我は、ややもすれば些細な事でも自信を喪失するからだ。
 コクっても即座に「ごめんなさい」されれば、そりゃあ死にたくもなりますよ。
 (最初の彼女に振られた時は、1週間ほど病人みたいになりました。止むに止まれぬ事情で別れたんだが・・・)
 二次元至上派・現実代替派は両極端な立ち位置だが、迷走する恋心(恋に恋する、てヤツだね)、暴走する性欲(たっぷんたっぷん!)をなだめすかすには「道具」が必要だ。それが「萌え」なのだ。
 よしんば彼女ができても、数年間は女の正体、その本質は中々理解できないだろう。(だから彼女持ちのヲタクも存在するのだ)
 女というものを理解し、そしてむしろお手軽な異性ではなく人間として愛するまでに成熟を経るまで、男は「萌え」の甘く清らかな幻想にしがみ付き続ける。
 絵師が元・萌えヲタでも、女性を理解するようになれば、一見萌えキャラでもその本質では「女性そのもの」といった「人間臭い」女性キャラを描くようになるだろう。(高橋留美子は早くから理解していた。本人が女性だからだ)

 国政。この人も江戸時代のヲタどもに消費されたクリエイターである。 一言で言うと、「萌え文化」とは、男性として未熟なヲタたちの宗教って事ですよ。
 だが宗教的熱狂はそのままでは文化を殺すものである。(中世ヨーロッパの暗黒時代など)
 文化から派生した宗教なら尚更そうだろう。元々文化を為す作家たちは各々が個性的な作品を発表していたはずだが、それが宗教と変貌し作品がイコンとなりコンテンツへと化すにつれて、個性・作家性を抑圧する事を要求されるからだ。(歌川国政を思い出せ!)
 宗教というものはいずれ飽きられる。だから時代時代で教義は変化し(神学とはそのためのスキルである)、色んな宗派へと分化する。
 十数年後も「萌え」は存在するだろうが(童貞が存在する限り!)、現在のような熱狂は冷め切っているかも知れない。

 「萌え文化」や「萌えヲタ」が絶滅しようがどうなろうが興味は無いが(その事自体は私にとっては大いに望ましい。萌えヲタ死ね!)、マンガやアニメやゲームの文化まで道連れにはしないで欲しいものだ。

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