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 07年7月18日水曜日着手。   (広告および個人攻撃・誹謗中傷・個人情報の掲載・悪質な宣伝活動お断り。この警告を無視し禁止事項に触れた者には、IPの公開・プロバイダへの通報など厳重なる対応を取る事もあり得るのでそのつもりで。荒らすな!)
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 変な時間に居眠りして、変な時間に目が覚めました。まぁ昔から睡眠時間は少なめなんだけどね。
 しかし何か最近はネット上でもブログやサイトには無関係な、それも自分の楽しみや趣味とも距離のある用事が増えました。だからなのか、ヒマさえあれば寝ているような気がします。
 まぁ、自分の頭の中を上手く整理できないだけなのかも知れないが、ムダに不慣れな分野で頭を使うためエネルギー消費もバカにならず、用事を終えた時にはボーっとしている事も多いのですよ。
 (絵のアイディアはたくさんあるのですよ、それも色んなのが。フネやヒコーキも描きたいし人物も描きたい。風景や情景も描きたいし静物も良いですな。小ネタも多いけど真剣な絵も描かないとなぁ。あ・・・こういう姿勢がダメなんですね^^「虻蜂取らず」とはこの事よ)
 気を取り直して、放置されっぱなしのネタに取りくんでみますか。

 あらかじめ断っておくが、私は村田蓮璽という絵師さんの画風が好きである。
 画集など一冊も持っていないけど(結構高価です。一万近くする本はホイホイ買えないよ)、氏の絵があれば思わず凝視する方である。
 まず間違いなく人物の描写、表現が確かである。存在感が半端無いんですよ。
 人体の構造について理解が深く、また人物の表情も(派手ではないが)豊かである。
 この人のファンはロリ趣味の人が多く、その魅力的な少女に惹かれているのだろうが、昨今の萌え絵とは違いキャラの表情は極めてビビッドであり、決して受動的な「お人形」に堕していない。
 つまり、人間が描けているのですな。
 ついでに言うと、いかに描かれたキャラが少女であっても、場合によっては大変エロい、まるで幾つも恋を経験してきた大人の女性のような妖艶な表情をしている時がある。
 身体つき・顔立ちなど造作は発展途上(成長期)なのに、目付き顔付きが既に大人なんですな。
 個人的な好みからいうと・・・もっと年齢が上の女性も描いて欲しいのだが、そうなると別の絵師になってしまう恐れもあるなぁ(笑 もしかすると、「少女」+「大人顔」というのが最大の魅力なのかも知れない。
 と・・・ベタボメしておいて何ですが、正直なところ、彼の絵に激しい違和感を覚えない事も無いのだ。

img061.jpg こちらは私が時々思い出したように買っている「robot」という「雑誌」である。
 判が大きく、また紙も上質で、全編カラーである。(白黒があっても、それはカラーとしての白黒ページなのだ)表紙絵は村田氏によるもの。
 ページ数が少なく、どちらかというと丁寧な彩色原稿のマンガで構成された画集のような体裁なのである。ちなみに2000円近い価格である。まぁ良心的なんだろうけど。
 ソファーに座っている人物は少女のようにも見えるが、私には小柄な美女に見えなくも無い。
 この絵、実は本の裏面につながっている。大きく開いて裏側(外側、表紙側)から見て初めて一枚の絵として姿を現すのだ。

img063.jpg こちらが表紙裏側。リアルなタッチでも上手い人であるなぁ。









07c6001d.pngca7232b3.png こちらが表と裏を合わせたもの。

 ・・・お気づきだろうか。
 人物の顔の大きさが不自然なのである。
 遠近法も多少関わるのだろうが、それにしても女の子の顔が大きすぎないだろうか?
 母親や姉妹または彼女や奥さんと並んで写真を撮る事もあるだろうが、その時に注意して写真を見てもらいたい。大抵の場合は男の方が大きな頭部を持ち、「小顔」の男であっても女性より「小顔」である場合は非常に少ないのだ。
 ある程度人間の骨格や筋肉など、人体の構造が頭に入ってる人には、本当ならリアルタッチのキャラと(骨格・筋肉の構造やプロポーションに忠実に描いた)萌えキャラを同じ画面に描いてしまう事など、抵抗が強すぎて困難と思うんだが、村田センセは描いちゃうんですね。で、男より顔のでかい女の子を描いてしまう事になる。
 やっぱ女の子の顔は大きくてもせいぜい男と同じくらいが上限であるべき、と考える私には無理な芸当である。

 「骨格・筋肉の構造やプロポーションに忠実に描いた」ら、なぜ顔の大きさが変わるのか、これは頭蓋骨の大きさと鼻の高さに関係がある。
 鼻腔の容積は大体一定であり顔が大きくなると(多くの場合顔の幅は広がる)、鼻梁は低くなって横に広がるもので、つまり鼻が高い(鼻筋が通った)顔は横幅のある大きな顔ではなく、面長な顔や瓜実顔なのである。
 (年齢的にまだ鼻が低い、小さい幼児の鼻の穴を見てみよう。大抵は前後より左右方向に広がっているから。また人類学の先生に聞いてみるといい。白人より日本人の脳容積の平均値は大きい、つまり日本人は総じて欧米人より大きな頭蓋骨を持つわけで、ズバリ「顔が幅広ででかい」のだが、同時に鼻も低いのである)
 (『青い紅玉』作中でシャーロック・ホームズは拾得物の帽子を手に取り、その落とし主の高い知能と脳容積の関連についてこう語っている「それに答える形で、ホームズは帽子を自分の頭に落とした。額はすっかり隠れ、鼻柱にきたところで止まった。「容積の問題だよ」と、ホームズ。「これほど大きな頭を持っているのなら、中身もあるに違いない」 当時、「骨相学」と「人類学」が大変盛んであった。ホームズ本人の弁に従うと、帽子の持ち主はホームズより高い知能の持ち主らしい・・・)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000009/card3395.html
 ほぼ同じくらいの体格の二人の人物がいるのなら、まず鼻の低いキャラの方が顔がでかいのだ。
 『らき☆すた』よりパトリシア・マーティン、高校一年生。米国からの留学生で身長168センチの巨乳さんだそうな。  実は田中圭一の絵です(笑 神様はルーズソックス履いた和登サンを描いてはいません。見たかったなー。個人的には黒ソックスの方が似合うと思うけど
 萌えキャラの祖形をも先取りしていた、と言われる手塚治虫だが、「鼻」の形状という点で萌えキャラと手塚美少女は決定的に違う。手塚の描く「美少女」(少なくとも10代半ばくらいの)には、大人の女性と同様の鼻筋がしっかり描かれているのだ。
 デッサン力について劣等感があった手塚だが、少なくとも人間の顔の構造にはあまり詳しくなかったのは確かである。
 さすがに少年誌作品のヒロインを描く時は子どもっぽさ(日本人の言う「美少女」とは、大人と子どもの中間に位置する若い女性である)を強調するためか、目がかなり大きい(顔の幅が広い)のだが、同時に高い鼻梁を持つという矛盾がある。
 (この点については、少なくとも『らき☆すた』の美水かがみキャラの方が現実の人間に忠実かも知れない)
 (田中圭一の描く手塚マンガ(笑→http://file.jacktar.blog.shinobi.jp/vlphp154872.jpg
 手塚の美少女は、どちらかというと「鼻筋の通った」古典的な「正統派美女」に近いのである。
 近年の萌えキャラというものはどう見ても「子ども顔」であり、それに従えばまず間違いなく鼻は低くなくてはならず、一方年齢的にはそれなりの大きさの頭蓋骨をも備えていなくてはならず、当然の帰結として巨大な頭部を持つに至るわけだ。
 だから、非常に高いデッサン力を持つ(同時に現実の人体に忠実である)村田蓮璽という作家が、顔の大きい女の子を描く破目になるのですよ。
 (私の「萌え」の定義は、かなり幅広いのである。とりあえず美少女や美幼女を描くのが上手い絵師は「萌え絵師」と見なしています。異論は認めるぞ)

  ・・・また敵を増やしちゃったような気もするので、おわびの動画でもドゾー。
 
【ニコニコ動画】村田蓮爾美術館  
 (ちなみにBGMはジャミロクワイらしい。歌っているのはJKだがオレとは無関係だ)

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【ニコニコ動画】METALSAGA(メタルサーガ) 砂塵の鎖 PV

 うぅ、まぁた変な時間に目が覚めちゃったよ。
 だんだん生活パターンがネコっぽくなってきたなぁ、やはり飼い主はペットに似るのか(ヲイ
 更新が途絶えると様子を見に来てくれる人もいるので、あまり滞らせるわけにも参りますまい。
 ブログの事を「生存信号」(つまり、これが発信され続けている限り、ブログ主は生存している、という信号)と言っている人もいるくらいなので(なんか物騒だな)、そういう意味合いもあるんだろうね、ブログには。
 
 最近またゲームにはまったりしております。
 新しいプレイヤーには評価されず、古いファンには叩かれた「メタルサーガ」(荒廃した未来世界を生き抜く、マカロニウェスタン風RPG。馬や宇宙船ではなく戦車が活躍する、ホースオペラやスペースオペラならぬ「タンクオペラ」。隠れた名作「メタルマックス」の実質上の後継作)の、ずいぶん間を空けた2周目プレイなのですよ。何かと問題も多いが、それなりに面白いよ、これ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AC_%E3%80%9C%E7%A0%82%E5%A1%B5%E3%81%AE%E9%8E%96%E3%80%9C

キリヤ。イケメンっぽいメカニック。やっぱMMのメカニックはモヒカンだろ!というあなたは私の友人。 で、気になったイベントが一つ。
 パーティーは主人公であるハンター(バウンティハンター。賞金稼ぎ)と、故障した戦車の修理担当のメカニック(現実の戦車も戦闘も無く数日稼動するだけでどこかが壊れる不思議な兵器らしい。だから機甲師団には必ず修理担当の部隊が付いてくる)、銃や刀剣で戦うソルジャー(戦車隊には歩兵が随行する。鈍重な戦車では対戦車兵器を抱えた敵の歩兵に対応しきれないからだ)、それにバズーカ背負ったイヌ(このシリーズの象徴的存在。けなげで愛らしい戦うマスコット)で構成される。
 メカニックであるキリヤという若者に絡んだイベントが、非常に印象深い。
 賞金首の一人、ブレークダウンというのが登場するんだが、この男、神がかった技によって一瞬にして戦車という戦車を解体してしまう「解体魔」(「皆壊しだーっ!」)であり、メカというものに取り憑かれ、挙句の果てに狂気の犯罪者と化したかつての天才的メカニックである。
 襲いかかるのを見事討ち取ったブレークダウンが落とした古い写真には、ブレークダウンとその妻子らしい、幸せそうな家族が写っており、そこにはキリヤに良く似た幼い子どもの姿が・・・。

ハワード・フィリップ・ラブクラフト。(゚∀゚)ラヴィ!! キリヤは深く悩むのだが、これは、自分の実の父親を我が手にかけてしまったという罪の意識のみならず、ブレークダウンの末路に自分の暗い未来を見てしまった、という強い衝撃もあるのだろう。
 唐突でなんだが、ラブクラフト作品の主題の一つが、血・血統というものに対する不安・恐怖である。
 『故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実』、『潜み棲む恐怖』、『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』、『ダニッチの怪』、『インスマスの影』、と多くの作品にその傾向が顕著に見られる。
 先祖からの英国風の文化に執着し、また一方で精神を病んでいた父親や、のちに神経症で入院する母親の姿から、心の病への不安に悩まされていたラブクラフトには、遺伝する病への、いわば優生学的恐怖が執拗に付きまとう。作中に「退化した血筋」という言葉が繰り返されるのだ。
 (この時代、生物を人為的に改良しようという優生学が流行していた。家畜や農作物などの品種改良には役立ったが、反面ナチズムなどという禍々しい代物も登場した。ラブクラフトは人種主義者であり、アングロサクソン以外の人種を否定する事も多かったが、彼の親しい友人にはユダヤ人が何人もおり、また中国文明を西洋のそれより偉大なものとも考えていた。また仰々しい饒舌な文章を書く作家なのに、日本の俳句を高く評価してもいた。ヒトラーとナチスには軽蔑と嫌悪しか感じなかったようである)

 専門家によると、人間の人格は、その人が成長するにつれて、環境から受けた影響から脱し、次第に遺伝した形質が濃厚に現れてくるものだという。だから大人の方が子どもより個性的なのだ。
 吉崎観音はいいマンガ家だが、九州の男尊女卑的風潮を肯定するのがどうもなぁ。で、なんで日向家には父親がいないんだろう。 私も、自分がだんだん父親に似てきたのではないか、と考えると、すごく不安を感じるのですよ。
 暗愚でひがみっぽく、無知無教養で保守的、差別主義者(まぁ日本の悪口ばかり言う近隣諸国もほめられたものではないが)、狭量で自分勝手、家族を思いやる事もできずに横暴に振る舞う(私が男尊女卑に強く反発するのはこの父親のせいだ。九州男児に疑問の目を向けがちなのも。食事の時父親だけオカズが一品多い、ておかしくないか?)・・・一言で言うと最低の男だった。
 母親にしても、怠惰で知能が低くて依頼心が強く、すぐに泣き言を言う惰弱な性格で、おおよそ魅力ある女とは言えなかった。どちらも癇癪持ちで子どもに当り散らした。
 正直、不幸な家庭でしたよ。子どもは親を選べないからね。
 私が自分が親になる事に激しい恐怖を感じるのは、両親の形質が自分の子どもに隔世遺伝したらどうしようか、と危惧するからだ。家庭を作りたい、とは思うのだけど。
 自分の中に流れる劣った遺伝子を相殺するためにも、できる限り聡明な女性を娶らねばならない、という思いが強迫観念にまでなっており、おかげで異性との交際も限られたものとなった。(自分の母親みたいな女は嫌なんですよ。オレが知的かつ母性的な手塚ヒロインを好む理由だ)
 親戚縁者を見回してみると、私に似たタイプの人間は見当たらず、自分が突然変異的な存在である事に気付く。突然変異体は同じ形質の子を成す事も無く、一代で終わるらしい。子が私ではなく私の両親に似る怖れが大きいのだ。
 近年の研究では、後天的な獲得形質(学習によって身に付けたスキルや才能など)は実は次代にも受け継がれるのでは?とも言われ始めているらしい。
 従来のダーウィニズムに反する考えである。だがもしそうならば、私としては大歓迎である。
 自分の両親を専ら反面教師にして生きてきたのが私なのだから。

 この男も実は自分の血筋に悩んでいたそうな。のちにユダヤ人の血は混じっていない、とされたが、それは死後数十年後の事である。



 優生学が猛威を振るっていた時代、遺伝病の持ち主から生殖能力を切除する処置、即ち断種手術を施す事が国家により奨励されたらしい。悪い遺伝子を次の世代に残さないため、不幸な子どもを生まないため、という事なのだが、これを受けた人たちの悲しみはいかばかりだったろう。
 個人的には、まぁつまらない血統は、私一人で打ち止めにしとくのが一番無難なのかも知れないが。

  

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 性格が気まぐれでわがままで、担当さん(恐怖の手塚番!)にとっては魔神だった。ガローン。 手塚治虫にしても最近物故者となった赤塚不二雄にしても、「マンガばかり読んでいる人に面白いマンガは描けません」と言い、同様の発言は富野由悠季や「元祖ロリコン・メカフェチ」パヤヲにもある。
 つまり、ユニークな作家性を持ち、独創的な仕事をするには、多本面から様々な知識情報を吸収し、己が目の前にある題材を多角的に見つめ、自分独自の価値観と切り口・技術を持たねばならない、という事だ。
 (オーネット・コールマンはインタヴューで、「あなたはウェーベルンなどの作曲家の十二音技法から影響を色濃く受けられているように見受けられますが?」と言われて、「いゃ、どちらかというとジャクソン・ポロックの絵画にインスピレーションを受けています」と応えている)
 こういう主張はずいぶん昔、それこそ手塚や赤塚がバリバリの現役だった頃から散々言われていた事で、自分なりの個性・作家性の確立に苦心惨憺する創作家なら一再ならず目にし耳にしてきた事なのだが、これを改めて単刀直入にヲタク人種に突きつける(つまり評論家みたいに本にするんじゃなくて)人はそんなにいなかったのではないかと思う。
 こういう文章を見つけた。
http://anond.hatelabo.jp/20081118225445
 こういう議論は、ヲタク文化とは何か、ヲタクという人種は如何なるものか、というところから始めないと乱暴な飛躍に陥りやすいのだが、この文章を書いた人が指すのは、おそらくはマンガやアニメやゲームに作家性や個性を求めず、ただ「それっぽい、甘ったるくて軽薄で、誰が作者でも同じ作風・完成度で誰が作者かなんて誰も気にしない、量産された没個性なコンテンツ群」とそれに耽溺する愛好家であろう。
 ・・・より具体的には、萌え文化と萌えヲタ。

 完成品は絵サイトの方に置いてあります。ネタ絵としてもすごく力を入れてただけに非常に遺憾な結果だった。萌えヲタ、滅べ。 自分自身の経験で恐縮なんだけど、今年の節分の頃に朝目新聞にラムちゃんの絵を投稿したんですよ。
 節分当日に間に合わせるため、強行軍で大急ぎで描いたものであるが、それでものべ数時間はかかった。
 諸星あたるのあまりの女癖の悪さに心底激怒したラムがヤンデレ化し、ついに氷のような微笑を浮かべてダーリンを焼き殺す(あくまで暗示だけだが)、その数秒前、という内容なのだが、これが全く受けなかった。
 私は決して高橋留美子の熱心なファンでは無く、単行本も一冊も持っていないのだが、彼女が恋に身を焦がす怖ろしげな女の情念を描く作家である、というその作家性には気付いていた。
 ・・・本質的には、ラムは「隠れヤンデレ」なのですよ。これはコミックス最終話の最後のページのラムの表情を見れば誰にでもわかる事だ。(正直、私はこれを見てゾッとした。ラムは「娘道上寺」の清姫直系の子孫だ)
 この絵を投稿して数時間後、別の人が(節分に遅れながらも)同じくラムを描いた絵を投稿した。
 こちらは私の絵と違い、あくまでラムを可愛く、萌えキャラのように描いたものだった。
 ・・・すごく受けていた。コメントも無く閑古鳥の鳴いていた私の絵と違って。
 (ひがみのように聞こえるかも知れないが、デッサンも構図も酷いものだった。せめてもう少し丁寧に描けよ。線くらい整理しろ。どうせ遅れたんだから)
 私が朝目新聞という投稿サイトとその住人(多分大部分はROMだろう。コメント書いてる者は間違いなくその通り)の「質」に根源的な疑問を抱いたのはこの時だった。
 ラムというキャラクターの本質を見極めた絵でも、それを歪曲してただ可愛く描いただけのヘタクソな萌え絵(ハッキリ断言する。ヘタな絵だった)には負けてしまうのですよ。
 「敗因」は二つある。
 私の絵のラムはちっとも可愛くなく(そらそうだろう。だが高橋留美子が描きたかったラムにはかなり接近している)、萌えヲタが萌えようが無い絵だった。
 加えて、受けた方の絵と比べ、個性が強かった。
 女性キャラにぬるい幻想を抱いている愚劣な萌えヲタには到底受け入れられるはずの無い絵だったのである。(私は馬鹿や低能に頭から冷や水をぶっかけるのが大好きだ)
 
 アニヲタ、より具体的には萌えヲタという人種は、執拗なまでに「萌え」を追求する。
 それこそ、水に餓えた漂流者のように。
 「萌え」そのもの、そのエッセンス以外の要素、例えば女性という生き物の嫌な面(というか人間の醜い影の部分。好意的に言うと「人間臭さ」)などが絵に含まれていると、鼻息を荒くしてたちまち排斥にかかる。
 それどころか、少しでも現実の人間に近くなれば、見苦しいほど激しい拒否反応を示す。
 だから萌え絵はどれもこれも似たような表情・ポーズ・構図・彩色・塗りなのだ。
 平面的で、質感や量感・立体感(いずれもリアリティに必須の要素)の欠落した、軽薄な絵ばかり。
 ・・・個性(と技術。創作に於ける技術は個性・作家性に直結している)は、作家性は混入した異物以外の何者でもない、という事だ。
 これって、何かと似ていないか?
 マリア様がみてる。「見てる」じゃなくて「みてる」だ。 そう。仏像、またはキリスト教のイコンである。
 これらには個性、作家性は無用どころか、むしろそれらは人間臭さとして抑えつけられ削り取られる。
 宗教は人間性を超越したものであり、永遠普遍なる神に人間性はあってはならない狭雑物なのだ。
 (キリスト教の寺院では、イコンや磔刑像を修行の一環も兼ねて内職で製造しているところもある。これは美大出身の僧侶にはそれこそ苦行だろう。作家性を出してはいけないのだから)
 「萌え」こそは、神を見失った現代日本人の宗教なのだ。
 (きっと昔はキリスト教徒も「マリア様萌え~(はぁと」とかほざいていたに違いない。そういえば萌えヲタも「処女崇拝」だよなぁwww)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1190550.html
 私が美少女フィギュアに対して感じていたのも、多分同じ感触だろう。だから馴染めなかったのだ。
 NHKの番組で美少女フィギュアには美的側面、つまり作家性も濃厚に存在する(人気造形師は高く評価されている)という事を知らなかったなら、やはり偏見を持ったままだっただろう。
 宗教嫌いで、民話や伝説に登場する「荒ぶる神」などは人類の英知である科学技術で、わかりやすく言えば「超兵器」で抹殺せよ!とさえ考えている私が、萌えヲタに常々感じている不快感と苛立ち。それは新興宗教の熱心な信者に感じるあの嫌悪感と根源では同質だったわけだ。
 旧約聖書に登場する「神」には、私は反発しか感じない。自分の気分次第で人の生命を奪ったりしているからだ(ソドムとゴモラ、ロトとその家族以外に善人がいなかったって、信じられますか?確率的に考えてもそれはありえない話だ。こんな横暴な神など要らぬ。リストラしろクビにしろ。ヤハウェお前何様だ。神様か)。
 ウルトラマンなどの特撮ヒーロー物の多くに対する私の不満は、襲来する怪獣の脅威には人間はほとんど無力で、いくらがんばっても結局は歯が立たず、怪獣退治は余所者であるウルトラマンにほとんど丸投げ、という点だった。たかがトカゲの親方を相手に、情けなさ過ぎるぞ防衛軍!
 他人に依存するなよ甘えるなよ。別に日米安保反対とか憲法第9条改正とか叫ばないけど。
 (同じ特撮映画でも、人類の英知が勝利を収めるものは大好きだ。努力は報われるべきだと思わないか?)
 綾波に萌えてはいけない。彼女は「母親」だからだ。 フロイトやユングを読む人ならご存知だろうが、人間の人格の最初の成長は「自立」「親離れ」だが、それらの段階で起こる若者の心の変化を「親殺し」(実際に殺したら犯罪だが)と呼ぶ。
 フロイトやユングお得意の「夢」(眠っている時に見るアレ)では、「英雄の怪物退治」またはそれに類するヴァリエーションで人の意識上に現れる。(人気ある怪物は竜。他に大ダコなども)
 だからウルトラマンを無批判に絶賛する特撮ヲタは「自立」も「親離れ」も本当の意味ではできていないガキ、という事になる。萌えヲタと同類という事だ。
 究極のヲタアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が「神殺し」、そして「父と子」の確執を主題としているのは意味深である。
 (「使徒」ってどう見ても怪獣だよな。天使には見えない。初期キリスト教の天使のイメージもあんな感じだったそうな。背中に羽根生やしたエロいカッコした巨乳のおねいさんでは決してなかった(笑 庵野秀明は特撮ファンだがヲタク嫌いでもある。かつての同志の「ヲタキング」岡田斗司夫とのヲタ論争は有名)

 言うまでも無く、宗教的熱狂と激しい恋愛感情と性欲は同根のものであり、これらは深いところで密接につながっている。
 (女犯妻帯を許さない宗教は数多い。立川流など、反対にセックスを教義に取り込んだ宗教も実は多いのだ。現代ではほとんどカルト扱いだけどね)
 思春期の男性は二次性徴期に伴う性欲の亢進に悩まされ、常にセックスのパートナーを物色する破目になる。
 だが、現実の女性は童貞の男性が夢想するような甘く清らかな存在ではなく(もちろん同時にそういう面も多分に持ち合わせているのが女性だが)、汚らしい部分を少なからず持ち合わせているものだ。
 美女美少女は大抵の場合「非処女」で(オレがそう言ってるんじゃないよ!別にいいじゃん非処女でも)、化粧していない素顔は至近距離で見ると肌の粒子が粗く(白磁のような肌など無い)、物を食えばウ○コもする(ウ○コを食うスカトロ趣味の変態さんはここでは考慮しません)。
 本物の女はアニメやゲームの「美少女」ほど美しくは無いのだ。それを嫌がる脳内の住人も一部には存在するらしい。
 また、現実の女性は恋愛シミュレーションゲーム(18禁物だとエロゲ)の登場人物ほど簡単には陥落してくれない。実際の人間関係には安易なフラグなどありはしないのだ。
 私にも経験はあるが(男ならみんなあるよ)、初めての「告白」は怖ろしく勇気を必要とする。
 なぜか。劣等感に苛まれがちで不安定な若い自我は、ややもすれば些細な事でも自信を喪失するからだ。
 コクっても即座に「ごめんなさい」されれば、そりゃあ死にたくもなりますよ。
 (最初の彼女に振られた時は、1週間ほど病人みたいになりました。止むに止まれぬ事情で別れたんだが・・・)
 二次元至上派・現実代替派は両極端な立ち位置だが、迷走する恋心(恋に恋する、てヤツだね)、暴走する性欲(たっぷんたっぷん!)をなだめすかすには「道具」が必要だ。それが「萌え」なのだ。
 よしんば彼女ができても、数年間は女の正体、その本質は中々理解できないだろう。(だから彼女持ちのヲタクも存在するのだ)
 女というものを理解し、そしてむしろお手軽な異性ではなく人間として愛するまでに成熟を経るまで、男は「萌え」の甘く清らかな幻想にしがみ付き続ける。
 絵師が元・萌えヲタでも、女性を理解するようになれば、一見萌えキャラでもその本質では「女性そのもの」といった「人間臭い」女性キャラを描くようになるだろう。(高橋留美子は早くから理解していた。本人が女性だからだ)

 国政。この人も江戸時代のヲタどもに消費されたクリエイターである。 一言で言うと、「萌え文化」とは、男性として未熟なヲタたちの宗教って事ですよ。
 だが宗教的熱狂はそのままでは文化を殺すものである。(中世ヨーロッパの暗黒時代など)
 文化から派生した宗教なら尚更そうだろう。元々文化を為す作家たちは各々が個性的な作品を発表していたはずだが、それが宗教と変貌し作品がイコンとなりコンテンツへと化すにつれて、個性・作家性を抑圧する事を要求されるからだ。(歌川国政を思い出せ!)
 宗教というものはいずれ飽きられる。だから時代時代で教義は変化し(神学とはそのためのスキルである)、色んな宗派へと分化する。
 十数年後も「萌え」は存在するだろうが(童貞が存在する限り!)、現在のような熱狂は冷め切っているかも知れない。

 「萌え文化」や「萌えヲタ」が絶滅しようがどうなろうが興味は無いが(その事自体は私にとっては大いに望ましい。萌えヲタ死ね!)、マンガやアニメやゲームの文化まで道連れにはしないで欲しいものだ。

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 全高60センチもあります。絵であれ立体であれ、大きいものほど制作は難しい。 ETV特集で、美少女フィギュアを文化として捉えた番組を放送していた。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/1130.html
 私の大嫌いな村上隆(無能なくせに傲慢で性格が悪い。少なくとも職人としては天才であるパヤヲより数段劣る、実は全く使えない人物)が出演者として名を連ねていたので、見るのをやめようかとも思ったんだが、とりあえずは見た。(岡田斗司夫がスリムになってて別人28号でビックリした)
 ・・・興味深いな、フィギュアって。
 
 美少女フィギュアはその祖形を江戸時代に求める事ができる。
 貧乏だった江戸幕府は、富裕な大名や豪商の豪華絢爛な浪費を牽制するため(でないと「ご威光」が保てないから)、度々「奢侈禁止令」を出すのだが、その結果、ホビーとしての工芸品は目立たないようにミクロ化していく事になったそうな。(フィギュアのご先祖は雛人形らしい。確かに細密なミニチュアではあるな)
 プラモデルでも家電でも何でもかんでも小型軽量化してしまう日本人の「縮み志向」と技術的資質は、江戸時代に貧しい徳川政権によって培われたものだったのだ。それが幕府の滅んだ未来の世に技術力・経済力や文化として開花するのだから、歴史の皮肉は面白い。
 荒俣宏が言うには、江戸時代の浮世絵も当時は芸術品としては扱われず、現代のフィギュアのような「商品」、コンテンツであったという。
 評論家の山田五郎氏(この人評論家だったんだね)によると、市民階級が力を付けた産業革命後の19世紀に「芸術をごく一部の王侯貴族に独占させるとはけしからん。市民にも共有させろ」という声が出始め、そこで美術館というものが発達したのだという。
 美術館に収めるためには、作品がそれ相応のクオリティと「普遍的価値」を持たねばならず、そこで芸術品(アート)と工芸品(クラフト)の二極に分離したわけである。(それ以前にそのような区別は無かった。元来「アート」という言葉には「技」「技術」という意味も含まれるのだ。レオナルド・ダ・ヴィンチなども同時に職人でもあったのだ)
 日本にも、経済的にゆとりのある大名(貧乏な大名も多かった)や豪商、大きな寺など、芸術家のパトロンになれる富裕層(ブルジョアという言葉はここでは使えない。明治維新に至るまで日本ではついぞ「市民」が政治的発言力を持つに至らなかったからだ)は幾らかは存在したが、市民階級の成熟した西洋には到底及ばなかった。(江戸期の高名な絵師の多くが京都出身である事に注目。明治になるまで経済の中心は京大坂など上方であった。江戸が本当の生産力を持つのは東京と名を改めてから。それ以前は終始「行政都市」であり続けた。江戸の大商人もほとんどが元は京大坂や近江の商家の支店だった)
 だから、浮世絵師や根付職人・飾り職人など大半の芸術家(職人)は庶民相手に商売をする事になり、良くも悪くも芸術は「クラフト」であり続けたのだ。(ちょっとだけ豪華なキセルなどの1点ものは、庶民にはささやかな楽しみであったろう)
 だがやはり浮世絵師にとっても、金持ち相手に版画の元絵ではない絵を描く仕事は魅力的であった。
 浮世絵の版元の仕事はあれこれと指図される事も多く制約も少なくなかったのだ。「売れる」ためには絵心などろくに持たない無知蒙昧な大衆に媚びへつらう事も必要であり、そのおかげで才能を磨り減らされた国政のような絵師もいるのだ。
 (鳥山明がDB以降に完全に連載マンガの仕事をしなくなった事を想起されたい)
 フィギュアの一大展示即売会であるワンフェスでの入場者数は4万人にも登る。が、フィギュア愛好家の審美眼・鑑定眼は浮世絵を包装紙代わりに使ってしまう江戸の庶民より格段に高いようだ。
 フィギュア造形師は浮世絵師より幸せかも知れない。現代日本のフィギュア業界では、クラフトとアートが仲良く並んでいるのだ。
 パッと見ではわからない様々な創意工夫が試みられているそうだが、高いお金を出してまで欲しいとは思わないなぁ(笑 歴史的意義は認めるけど、そういう意味でも美術館向きの「作品」である。 西洋のアートは、1960年代のアメリカでリキテンスタインやアンディ・ウォーホルらポップアートの旗手たちによって、その本質に於いてはクラフトとの再融合を果たす。
 だが依然として社会的にはアートとクラフトは分離したままである。距離は一向に縮まらない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
 美少女フィギュアは、浮世絵からの文化的伝統にそのまま直結しているのだ。
 (でもたまには高尚な芸術にも慣れ親しんでおけ。優れた創作家はみんなそうなんだから)

 文化人類学者や詩人の先生らによると、フィギュアは宗教的装置である仏像や、病気などの災厄から逃れるために使われた「形代」(石器時代から古墳時代に作られた土偶なども含まれる)がその起源である、という事らしい。大元には呪術と宗教があるのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%BD%A2
 仏像は巨大であるか小さいか、サイズはそのどちらかである。これは、拝む人が対象の向こう側に現実を超越した宗教的幻想を見ようとしたから。仏像が「等身大」だと、やはり実際の人間と引き比べてしまう。これではただの美術品である。
 「等身大」のフィギュアも無いわけではないが、商品としては一般的ではない。その理由は、高価であり置き場所にも困るという現実的問題のみでは無いだろう。
 フィギュア愛好家はフィギュア相手に、現実から遊離した空想上の「穢れない」恋愛を楽しみたいのだが、等身大の大きさだとフィギュアではなく「ラブドール」になってしまう(笑
http://www.orient-doll.com/top.html
 (宗教的感情と恋愛は根源の部分で不可分である。愛する女性を女神や妖精または小悪魔に例える男は古今東西跡を絶たない。性欲に悩まされ煩悩に苦しむ若い僧侶の夢に、美女の姿で現れた観音菩薩もいたそうな。「観音様」ともいうね、婉曲表現でw)
 真紅は可愛いどころか、どこか色っぽい。でもドール。 『ローゼンメイデン』のドールたちがフィギュアではなくあくまで「ドール」なのは、人間に仏像やフィギュアのように宗教的(呪術的)幻想を許さないからである。つか、あいつら普通に飯とかイチゴ大福とか食ってるし(笑
 人間である淳とドールの真紅との間の感情は間違いなく恋愛だが、明確な自我と強い意志を持つ真紅(声優の沢城さんは大人の声で演じている)は淳の言いなりにはならず、逆に命令すらしてしまう。・・・完全に生身の人間と同じなんですよ。
 ビスクドールやバービー人形やぬいぐるみは人間や動物の代用品であり、フィギュアは信仰の対象である仏像と同じ立ち位置にいる。道理で精巧に緻密に作られているわけだ。・・・ちょっとキモイいけどね。その宗教っぽさが。
 そのずば抜けた完成度に製作者の魂、念が籠められているのを感じない人はいないだろう。 運慶や快慶、円空や木喰などの僧侶・仏師は現代に生まれてたらフィギュア造形師になったかも知れない。まぁこれらの人は没個性で作家性皆無な仏師・イコン製作者というより、作家性ガチガチの彫刻家つまりアーティストなんだけどね。
 美少女フィギュアが作家性皆無で没個性な仏像ならば、私は全く評価しないだろう。
 今時そんなものを拝み奉っているのは気色悪い宗教ヲタくらいだ。
 
 萌えヲタのフィギュア熱に、宗教的熱狂という不快なものを全く感じないわけではないのだ。
 が、最近は完成度が目を見張るほど高度で正直、一つくらいは欲しいな、とも考え始めていたのですよ。
 創作家の技術は作家性と直結している(人によって造形が得意だったり塗りが上手かったりと、個性があるよね)。逆に言うと、技術的に高度なものほど作家性が如実に現れるものだ。また制作者の思い入れが強ければ強いほど、当然作家性が強くなる。
 つまり、制作者が確かな腕前の持ち主で熱心な宗教信者であればあるほど、皮肉な事にイコンではなくアートに近づいてしまうのだ。運慶や円空は敬虔なブッディストだったはずだが、彼らの「作品」がアートとされてしまう所以である。
 巧みな造形師が根っからのアーティストである限り、美少女フィギュアは仏像にはなりえないのだ。狂信的な宗教家と作家性を重んずる美少女フィギュア愛好家との決定的な違いはこの点である。
 ・・・美術と宗教が危うい、しかし不思議な均衡を保っているのだ。

 「造形も仕上げもチャチで、おおよそキモい萌えヲタ、痛いキャラ信者が愛好する幼稚で醜悪な趣味」、そんなふうに考えていた時期が、オレにもありました(笑
 昔、博多人形でラムちゃんをこしらえた人が居たが、美少女フィギュアも後々そういう価値を持つようになるのかもなぁ。大きいサイズだと、高級感ある透明ケースに収まっていてこそ見映えするものもあるくらいだ。
 (来日する外国人にしても、日本土産に博多人形より美少女フィギュアを選ぶ人も増えているんじゃないかな。悲しい事にウチの家の本棚やタンスの上はネコの領土であり、フィギュアなどを置くスペースは無い。数十センチもの大きさがあるならなおさらだ)
 そもそもマンガやアニメやゲームのキャラクターつまり二次元的表現を立体として再現する、という事自体に無理があり、またナンセンスでもある、としか私には考えられなかったのである。
 中の人は絶望先生。「夏目友人帳」でニャンコ先生相手に「体温ですにゃ」と言い出さないかとwktkしたのは内緒だ。 まぁ未だにそういう考え方を引きずってて、あまりにも現実の人間からかけ離れた造形のフィギュアにはあまり食指は動かないのではあるが。(でも「ぱにぽに」のネコ神様は欲しいなぁ。体温ですにゃ)
 番組に出演した造形師のボーメ氏の作品は非常に表現力(再現度)が高く、その作りこみの細かさは驚異的である。
 芸術家の大先生ヅラした村上隆なんかよりよほど卓越した、神の如き妙技を持つのがボーメ氏の指先である。芸術家は馬鹿でもなれるが、職人は無能ではなれない。
 ボーメ氏はアーティスト「でも」あるが、村上はただのアーティストでしかない。
 (村上隆がアホの金持ち外人をペテンに掛けてベラボーな値段で売り付けたあの出来の粗末な醜い汚らしいフィギュア、原型はボーメ氏が作り上げたものらしい。・・・なんだあの程度の造型すら自分で作れないのかよ。肝心な部分は人任せですか「アーティスト(笑」の村上センセ?村上が描いてボーメ氏に渡したデザイン原案も番組では公開していたが、今時中高生でももう少しマシな絵を描くぞ。しかもセンスが80年代から進化しておらず古臭いだけに余計に痛々しい。また美大出てあの程度のデッサン力とは情けないなぁ・・・つか、もう少し丁寧に描けよ人様に渡すんならよぉ、落描きみたいだったぞ。それを忠実に立体として再現したボーメ氏の腕前が凄いだけに、むしろ村上の無能さが鮮明に浮き彫りになってしまった感があるなぁ)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1128134.html
 私は人間を描く時、「いかに量感と質感を表現できるか」という命題にこだわるのだが(えぇ、萌え絵という「トレンド」に真っ向から逆行してますとも)、考えてみれば二次元的表現である絵でいくらがんばっても、三次元的表現であるフィギュアの足元にも及ばないのだ。
 たまたま土曜日に放送していた、テレ東系の『美の巨人たち』で扱っていた画家のドガと、造形師のボーメ氏の姿がダブって見えたりもした。
 若い頃から眼に重い病(通常より光を眩しく感じる)を患っていたドガは晩年とうとう失明するのだが、光を失いつつある不自由な視力に頼らない表現として、立体芸術である塑像の制作に着手する。積み上げたデッサン力が繰り出す躍動感は、彫刻家ロダンをも凌ぐと言われている。
http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/travel12.html
 ミケランジェロ作。上手いんだけどホモだから女を作るのはすごく下手(笑 一方ボーメ氏はマントのドレープ(布の襞、たるみ)の表現のため、ミケランジェロのピエタを参考にしている。
http://www.kanshin.com/keyword/1151732
 近年猖獗を極める(笑)萌え絵は平面的で質感・量感に乏しいものが多いのだが、ひょっとして萌えヲタの多くは、不足している質感・量感をフィギュアによって補完しているのであろーか。メディアミックス戦略とは考えたものよ(笑

 
 
 ・・・真面目な話、自分でも作ってみたくなりました。馬鹿にしていたフィギュアが、実際には自分の求めていたものに最も近い、という事実に気付いてしまったのですよ。
 ・・・でも多分作らないけどね。指先が不器用だから(涙 ネコもいるし。
 

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【ニコニコ動画】ルパン三世のOP変更 パート1編

 チャーリー・コーセイがらみで、こんなのも見つけました。
 つか、こっちの方が有名か。
 モノノ怪OP曲『下弦の月』で組んだバンドネオン奏者の小松亮太も、「ルパン三世の人だ」と認識していたらしい(笑
 TV第一作の楽曲では、どちらかというとOP曲よりはED曲の方が取り上げられる事が多いようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E4%B8%89%E4%B8%96

 個人的には赤いジャケットのルパンよりはこっちのルパンの方がカッコイイように思える。
 ジャケットの色が変わってからのルパンの方が、全体に内容が幼稚(というか稚拙)な感じがするのだ。
 「おつとめ」(池波正太郎風に言うとこうなる)のやり方にしても、第一作目の方が「まだ」リアルでもっともらしい。(まぁ今見るとやはり荒唐無稽なんだけど)
 作品に漂う匂いも、乾いたハードボイルドタッチが心地よい。まさに大人テイスト。
 元になったイメージはマリアンヌ・フェイスフルだと言われてるが、実際のモデルはデュマ(父親の方)の『三銃士』の登場人物であるミラディらしい。 (不っ二子ちゃんの声は二階堂有希子さんの方が合ってるようだ。増山さんには悪いけど。ちなみに『名探偵コナン』の工藤新一のお母さんの名前は二階堂さんから拝借したらしい。というか外見がまんま不っ二子ちゃんですが^^不っ二子ちゃんといえば黒いツナギのライダースーツ、というのが「古典的イメージ」だが、これは『オースティン・パワーズ』のエリザベス・ハーレイから椎名林檎まで、未だに愛されるファッションであるなぁ。これって70年代の流行なのかな?林檎姫のは不っ二子ちゃんコスだろうけどw)
【ニコニコ動画】【MV】 しーな林檎-りんごのうた-
 劇場版第二作の『カリオストロの城』ではルパンのジャケットの色が水色だが、これはやはりTV第一作のイメージを大事にしたかったからではあるまいか。(私は現在アンチ宮崎駿だが『カリ城』が大傑作である事は否定しない。実はビデオで20回以上も観たんですよコレ。ロリコンのパヤヲ先生には不っ二子ちゃんの魅力は引き出せなかったようだがw)
 近年のTV特番のルパン(年に一度のお楽しみ、となってますな)は、イメージとしてはTV第一作と赤ジャケルパンの折衷、間を取っているように感じられるが、これは子どもから大人にまで愛される国民的キャラになったために視聴者の年齢層も拡がり(少子化時代でもある)、同時にアニメに対する社会的認識も変わった(まぁ総理になった麻生さんも大好きですから^^)事が理由であろうか。

 この二人は同時代人である。コナン・ドイルに迷惑がられ、原作ではホームズという名前は一度も出ないのだが、日本ではまんまホームズ(笑 ルパン三世といえば、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンの孫、という事になっているが、お祖父ちゃんである初代アルセーヌ・ルパンは20世紀初頭に「活躍」した人である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3
 祖父・孫ともに物語を重ねるごとに次第に義賊となっていったのは、やはり血筋だろうか。TV第一作ではまだルパンの顔も悪人面だね(笑
 (一応ルパンには日本人の血が交じっているらしい。本人自身の「日仏混合ルパン三世♪」というセリフもある。TV第一作の、タイムマシンを操る魔毛狂介と戦うエピソードで、ルパンそっくりの「マヌケなモンキー面」した「川向こうの次郎吉」なる農民が登場する。この男がフランス娘と結婚した、という事らしいが、江戸時代は鎖国で当然フランスとも国交は無い・・・まぁルパン本人の変装ですが^^しかしこれが「本当」だとアルセーヌ・ルパンの代には既に日本人の血が交じっている事になるなぁ。孫は食生活に関してはスキ焼き食ってたり「赤い狐」すすってたりと、完全に日本人ですな。孫ルパンによれば「お祖父ちゃん」ルパンは晩年薄荷パイプばかり吸っていたらしい)
http://www.kcg.gr.jp/~lupin3/maniac/database/sakuhin/tv_1-3.html

 ・・・いずれにしろ、もうそろそろ(かなり)時代的に「三世」はキツイか(笑
 まだ身を固める決心は付かないようだけど(笑
 でもとりあえず子孫はいるんだよな、ルパン三世。

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