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 07年7月18日水曜日着手。   (広告および個人攻撃・誹謗中傷・個人情報の掲載・悪質な宣伝活動お断り。この警告を無視し禁止事項に触れた者には、IPの公開・プロバイダへの通報など厳重なる対応を取る事もあり得るのでそのつもりで。荒らすな!)
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ちょうど4色だったのでCYMK。それだけの意味です 人間の人格のレヴェルって、その時その時の体調とか気分とかで結構上下に変動すると思いませんか?為替相場とか株価みたいに。
 それはある程度グラフにできるかと思う。もちろん、ごく大雑把にだけど。
 左のグラフ(という事にしといてください)では、縦の軸が気分のソウウツ、アッパー気味かダウナー気味か、横の軸が動物的か人間的かを指します。
 もちろんそれも、あくまで大雑把なもの。人間の心は正確に定義づけたり数字にしてみたりはできないからね。
 このグラフで示したいのは、人として理想的なのは心の状態が右上の角にあるケースであり、その正反対は左下の角にあるケース、という事です。
 標準的・平均的な心の状態はちょうど真ん中でしょう。
 これは心の成長の度合いにも対応します。
 年齢を経るにつれ、左下の角から右上の角を目指して、人間的に成長するわけです。生まれたばかりの赤ん坊は人として生まれても、まだ動物的で到底人間とは言えないから当然です。
 ただ、心の成長と言っても、順調に右肩上がりするとは限らず、人生の山とか谷とかに影響を受けます。
 また人によって感情的な性格の人もあれば、論理的な人もありますね。
 偏りのある考え方だという批判を覚悟で言いますと、やはり感情的な人より論理的な人の方が成長の度合いは進んでいる、と私は考えています。幼稚園児よりは大人の方が筋道立てて思考できますし、まず大人になれば法的な制約をより多く受けるようになります。筋を通さないと世間は渡れませんからね。
 こういうグラフを描くと「ユングのタイプ論ですね」と言う人もあるでしょうが、私は論理的であればそれで完全だとも考えていません。杓子定規に物事を捉えすぎる人は冷酷で非寛容で器が小さい人です。
 論理的すぎて冷徹なものの見方しかできない小人物は、このグラフでは右下のシアン部分に位置します。
 これは、ウツで暗い気分だから他人に対して心の広い態度が取れない人です。
 明るい気分だと、よほど深刻で重大なものでない限り、大抵の他人の失敗や過ちは笑い飛ばして許せるものですよ。そういう人は黄色に位置します。全ての人が須らく常日頃から黄色部分に居れば、世の中丸く収まるでしょうねぇ。
 明るい気分でも動物的だと、感情的で自己中心的な状態、じゃないかな。これはマゼンタ部分ですね。
 明るい気分で論理的ならば、公明正大で公平な態度だから当然他人の権利も尊重します。自己中心的で独善的でわがままな態度は取らないでしょう。これはこれでシアンとは違う意味で狭量で心の狭い態度、小人物的な態度と言えます。・・・マゼンタには近づきたくないものですね。
 私はこういうグラフを頭の中において、「今の自分はグラフのどの辺りに居るんだろう?」といつも自分の心を観察してるんですよ。

 最近の私は・・・真ん中より右下寄りかなぁ・・・。

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妖艶なアダルト眼鏡っ子魔女っ子のベヨネッタ。米子かわいいよ米子。 コリン・ウィルソンによると、「女戦士」タイプのキャラが創造されたのは、男にとって恋愛は狩猟の一種であり、「獲物」はより手ごわい方が狩る楽しみ・仕留めた時の喜びが大きいからだそうである。
 いかにも狩猟民族→牧畜民族という道筋で文明を発達させた欧米人らしい考え方かと思う。(しかも英国人は海賊行為で世界帝国にまでのし上った民族である。紳士になりたがるのは「やんちゃ」してた過去の反動か)
 でも、恋愛というのはゲームではないだろう。少なくとも、そういう軽い恋は本物ではない。

実はあまり読んでません(笑 『ベルセルク』だったか、主人公(ガッツ)がキャスカを口説く時に「背中を任せられる相手・・・」云々というセリフがあった。要するに、対等のパートナーとして相手を必要としている、という殺し文句である。
 傭兵団長のグリフィスに引き取られたとはいえ、幼い頃から自分一人の力を恃みに生きてきた戦士である彼女には高いプライドがあり、こういう女性は容易には男に屈服しないものである。愛されるにしても、決して従属の立場には甘んじない。誰かに頼りたくても甘えたくても、彼女の信条と頑なな姿勢が許さないのだ。
 「背中を任せられ」た彼女は、女として愛されるだけでなく、自分の存在が重んぜられた事で嬉しくもあり、また同時に素直に相手を受け入れる事もできた。
 キャスカと生い立ちや境遇がよく似たガッツも、簡単に他人を受け入れられない男である。
 だから心の底から信ずるに足る他者があまりいない。ゆえに恋愛も並の男に比べて重い。
 恋人、というだけでなく、生死を共にするくらいの、文字通り「戦友」である事まで求めるのだ。
 だから「愛してる」という月並みな言葉ではなく、「背中を任せたい」(背後を守ってくれ)という、一見無骨ではあるがそれだけに真剣な口説き文句になる。並の女なら逃げ出しそうだけど、若い娘の身空で部隊長まで勤めてきたキャスカは嬉しかったに違いない。

 巨大な鉄の塊みたいな大剣をぶん回す屈強な大男のガッツと私はほとんど似たところが無いのだが、友達が(そんなに)いない、という一点はとても似ている(笑
 だから、しっかりしてて凛とした女性に背中を任せたい。つまり、同等の立場に立てる女性を字のごとく「パートナー」にしたいのだ。
 でも、そういう女性は中々見当たらないねぇ。いや、友達からして、早々簡単には見当たらないんだけど。
 私がどういう絵を描こうとしているのか、何をやりたいのか、ある程度理解してくれたのはビーミズさんくらいである。(勉強熱心な人って意外に少ないよね)
 先の「デッサン」云々の件で私は大ゲンカをしたわけだが、あの記事を読んだある人物が「どうして友達ができないのかわかっていない」と某巨大匿名掲示板で書いてたけど(大きなお世話だ!)、その人にとっては友達というのはとてもお手軽な人間関係なのだろうな。おそらくは自分の同類が周りに簡単に見つかるのだろう。
 うらやましい限りですよ。いや、皮肉でなくて本気でそう思う。
かっこいい白髪。ホントに教授っぽくなりますた。 ただ馴れ合うだけの「お友達」なら簡単に作れるよ。いや、ひょっとして普通の人よりそういうのは得意かも知れないなオレ。知らず知らずに「ファン」(笑うな)が出来てる事もあるし(笑
 でもその中で、本当に背中を任せられる人が何人いますか?あるいは誰かに背中を任せたいくらいに、真剣に生きてますか?
 坂本龍一も言ってたけど、本当の友達とは互いに困った事があった時に真っ先に連絡をくれる人・連絡をする人であり、そういう間柄にまで至る人は極めて少ないそうだ。あれほどの人物でもそうなんですよ。
 人にもよるけど、友達って数じゃなくて質じゃないかと思うぞ。
 ・・・いやそれでもなおかつ、私の場合は少ないんだけどね。恋人獲得となると、さらに絶望的か。

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 いやぁ実生活がゴタつくとネットにも中々たどり着けませんなぁ。
 私はどちらかというとネットの方が落ち着くというある種後ろ向きな人間なんですが。

 私は自分が特に面食いだとは思っていないけど、昔友人から「お前は面食いだ」と言われた事がある。
 でもですね、一目ぼれをしてすぐさま告ったケースがほとんど無いんですよ。
 恋人に限らず、人間関係が始まるかどうかという最初の段階で、顔の造作に最初に注目するのは確かです。まずどんな人でもこれは変わらないかと思う。物事には絶対に外見が伴うからね。ケースに収まっていない家電とか誰も買わないでしょ。でもすぐにその顔に付いている後天的要素つまりその顔の背景にある人物の内面に興味が向かいますね。
 パッと見できれいに見えても、目に光が無くて濁っていたり表情に張りが無かったり、どこか顔つき(習慣化した表情)が卑しげに見えると、たちまちその人に対する興味が失せます。「つきあってもろくな事が無いな。少なくとも退屈な人物だ」と感じるのですよ。この印象はかなりの確率で的中します。
 私が「つきあいたくないな」と直感した相手は必ずといっていいほど心根が卑しい。その場にいないある人物の陰口を叩いたり(この場にいなければオレがこんな風に言われてるのか)、または他人をこき下ろす事ばかりに熱心で自分は全然努力しない。何をするにしても怠けがち、そのくせ何か良いアイディアを出すかというとそうでもない。ただやたら不平不満が多い。
 こういう人には先に挙げた外見的特徴のほとんどが当てはまる。ここまで具体的に書かなくとも、多くの人が日常的に何となく「この人なんかヤだ」と感じる時があるかと思います。
 ちょっと前の記事だけど、こういうのを見つけました。
http://daitai.diary.to/archives/1645853.html
(だいたいあってる 『美人は性格が良い?ブスは性格が悪い?』 09年9月16日)
 読んでて、外見てやはり結構重要なんだな、と思いましたね。
 でも美人やイケメンがどうのこうのと言ってても、親兄弟や親戚友人など身近に付き合ってる人にすれば顔なんて付いてればいいという程度の値打ちしかなく、これは交際が長い恋人や夫婦でも同じかと思う。
 要するに外見なんて知り合いでも何でもない「不特定多数」の人に向けた看板なのでしょう。やはり看板が汚くて壊れた店ってお客が寄り付きにくいでしょ。そんな感じ。
 私は小心者で、友人や恋人を選ぶ時にはかなり慎重に構えるのですが、私より行動力があって即応力の高い(笑)人は美人イケメンと見ればすぐさまアプローチをかけて交際を始める場合も多いだろう。
 でも外見は良いのに恋人が長続きしなくて、すぐさま振られて次の恋人と付き合い始める人って、やはり人間がつまらないのではなかろうか。だからすぐに飽きられるのですよ。

 最終話ではアクセルさんはいきなり3人の曾孫を持つ事になります。 名前を忘れてしまったが、昔の外国の小説家がこんな事言っています。
 「多くの女を知っている男より、たった一人の女を愛し続けている男の方がはるかに女というものをよく知っている」。一人の男に愛され続ける女というのはおそらくは外見が良いにしても、それはすばらしい内面が反映したものであり、何よりもまず人間としてすばらしい人じゃないかと思います。だから男もより多くより深く相手を知ろうと挽きつけられたのでしょう。大事なのは恋愛経験の数より中身なのですよ。
 (すぐに飽きてしまう方にも問題がある、という場合ももちろんあります。強度のマザコンやファザコンの人は、彼氏に父親の、彼女に母親の役割を押し付けがちだそうな。相手が親の役割を重く感じ始め、また本人も相手が「器ではない」と決め付けてそこで交際が終わってしまう・・・と河合隼雄さんが言ってましたよ)
 『交響詩篇エウレカセブン』のエウレカ、『大江戸ロケット』のソラはともに超の付く美少女ではあるが、レントンや清吉と数々の艱難辛苦をくぐり抜け、本当の愛を育んで ソラと清吉。この二人はどことなくエウレカとレントンに似ている。いきます。
 二人とも清楚で美しい外見とは別の、人間とは似ても似つかない真実の姿を持つのですが、コーラリアンとして異様な変異を始め、自らの姿の変化に戸惑いおびえるエウレカをレントンは懸命に支えようとし、凶暴な大型獣にしか見えないソラの正体を清吉は「結構かっこいいじゃん」と必死に受け入れようとします。いずれのカップルもハッピーエンドを迎えますが、これは当然だと言えるでしょう。真剣に相手を愛し続けた者は報われるべきなのです。
 (私が萌え系作品を好まないのはそういう理由もあるのです。男性キャラ一人に対して「不特定多数」の「美少女」がわらわらと大量に登場する物語のどこに真剣な愛があるのか、真摯な人間関係があるというのか?そもそもテンプレのごとく単純化したキャラデザインからして、人間を物のように処理していないだろうか?)

 以前TVでアシュリーさんという少女を見かけました。
 ご存知の人も多いと思うが、彼女は急激に老化が進行するという先天性の難病にかかっていました。
 私はTVをあまり見ないのだけど、ある日忙しい時にある番組の録画を忘れていたのをふいに思い出し、TVを付けたらそこに彼女がいたのですよ。
 一瞬、何が映っているのか、その人が誰なのかわからなかったのだけどすぐに気づいた。
 正直な印象を言うと、醜いとは全く思わなかった。本当ならば何の準備も無いまま唐突にそのような人物が目の前に現れたら、人は驚いてうろたえるのではないか。でも私はなぜか彼女をどこか美しいと思ったのです。まるで後光のように、ぼんやりと紫色のやわらかい光に包まれているようにさえ見えた。
 (オーラというものは旧ソ連やアメリカで国家の研究機関によって、なんと「軍事利用」のために熱心に研究されていた。専門家によるとオーラを見るのは訓練次第で誰にでも可能だそうである。人によっては訓練も無しで見えるケースもあるらしい)
 オカルトまたは超心理学などの研究家によれば、紫のオーラはその人物の人格レヴェルの高さ、ちょっと胡散臭い言い方をすれば「聖性」の有無・高さを意味するらしい。それに従えばアシュリーさんは間違いなく聖者に近い存在だったのだろう。
 私が見たそのシーンで彼女は「人生はそんなに悪いものではないわ」と言っていました。
 程なくして彼女は14歳の若さで亡くなってしまったが、神に召された、というにふさわしい人だと思います。

 人間の本当の魅力、本当の外見の魅力というのは生まれつきの造作ではなく、突き詰めるとその人の内面に由来する美しさ、顔に限って言えば造作よりは内面の反映である表情、そしてその表情が習慣化したものである「顔つき」だというわけだが、絵を描く人の場合、これは描かれる人物の顔にも出ます。
 (エウレカって美人だけど、人間的な感情が芽生える以前、軍の殺人マシーンだったころに自分が殺した人々の子供を引き取ってママになってたりと、結構重いキャラです。外見だってコーラリアン特有の奇妙な眼球だし。でもそんな深みのある人柄に惹かれてレントンの恋は本物になるのですよ。最初は表情に乏しくて冷たい顔した、あまり多くの人に心を開かない頑なな「美少女」なんですけどねエウレカって)
 キャラの表情にリンクした、ほぼ同様の表情をしながら絵師は人物の表情を描いているのですよ。これは人物を描く事が多い人なら必ず経験している事だと思う。笑顔を描いている人は大概本人も笑っています。
 脳にはミラーニューロンという部位があり、その人物の動作を司っているらしい。
 他人の動作を真似る時に活発に働いており、他の人の笑顔に釣られて笑ってしまったりするのはこの作用である。赤ん坊の笑顔はほとんどこれ。目の前にある大人の笑顔に釣られて笑っているのだが、表情に感情が追いて来るのも確かで、そうやって赤ん坊は「嬉しい」とか「楽しい」という感情の「機能」を発達させるのに違いない(子供は喜怒哀楽が激しいが感情自体は単純である。表情は派手だが乏しいのですよ)
 キャラの動作や表情が作家によって先にあるのは、ミラーニューロンが逆方向に働いているのだ。
 (マンガ家やイラストレーターの人体デッサンの有無って、ミラーニューロンと本人の動作のリンクが緊密か否かではないかな?デッサン力のしっかりした絵ってキャラの運動神経が良さそうに見えるね)
 鬼平さんからは「気持ち悪い女を描く」と言われ、それよりずっと以前にビーミズさんからは「笑顔が無い」と言われ、私なりに気にはしているんですが、それはつまり自分の内面、メンタル面の評価にダイレクトに跳ね返ってくるからですな(笑 ・・・まぁあんまり幸せな人生を生きてはいませんがね、でもそれは創作家としてはやっぱまずいだろうなぁ。
 (上の理屈に従うと『ONE PIECE』の尾田栄一郎氏は腕がゴムみたいに伸びたりするわけですが。でも彼、表情・顔つきはルフィに似てますね。尾田キャラ独特のだらしなく大口開けて目が明後日の方向を見ている表情は見ようによっては狂気を孕んでいるようにも見えるし、白痴じみても見える。私は死んでもあんな顔は描きたくないしまず描けないのだが、尾田先生ご本人の人格とかメンタル面についてはここでは触れません(笑 いや、才能ある作家さんだとは思いますよ。あんな大胆な動作とか構図はセンス無いと描けないよ。その点は確かです)
 あっちの方のブログで髪を描き直そうかと言ってましたがめんどいのでそうめんチョコを美味しくいただく事にします。髪ってめんどうだよね。だからショートカットを多く描くんですよ(笑 私としてはかすかに邪悪なアルカイック・スマイル、別に底意ある女神の微笑み、といったつもりで描いてるんだが、これってやっぱ気持ち悪い表情かもなぁ(笑 あぁ、アルカイック・スマイルはギリギリ女性に可能な「目が(あまり)笑っていない笑顔」だと思います。元々女性の表情筋は男みたいに口と目元が別々に動くようにはできていません。(あーそれでか、オレの描く女が中性的に見えるというのは。でもNO☆N☆KEだからね(笑 )
 ちなみに私は凛とした空気をまとった、心地よい程度の緊張を軽く漂わせている女性が好きなのだが、こういう人は大抵しっかりした自分を持っていて、自分なりの信条に則って行動し、自分の意見をきちんと言えるものです。こういう女性の顔・顔つき・表情を私なりに描こうとすると、どうしてもサド目になってしまう。別にドSキャラでもないのに一歩間違えると中性的に見えなくも無い。
 でも名のあるSMクラブの女王様って美人揃いでしょ(笑
 私はMではなく、ただボンデージファッションは均整の取れた美しい(そしてエロい)身体つきの女性でないと中々似合わないから好んで描いているだけなんだけど、(愛する女性の身体ではなく心を拘束したい、という暗喩でもあるなぁ)ツンデレの彼女に涙目で「なんでもっとがんばらないのよっ!あんたはやればできる子でしょ!」などと背中叩かれながら叱咤激励されてみたい、と考える事があります。でも、くぎゅボイスじゃヤだなぁ、釘宮さんの声って金属的でちょっと無機質でしょ。
 ファンの人には悪いけど、あの声優さんは声に微妙な表情の変化がある大人の女性の役はあまり巧くないと 大柄なこちらの方がお兄さんと間違われやすい。でも声は少年のそれである。釘宮声といえばやっぱアルでしょ思うんですよ。
 少なくとも独壇場のツンデレ美少女の鼻にかかった生硬なキンキン声では雰囲気出ない気がします。
 やっぱ声にも表情があるじゃないですか。言葉が無い分、声で表情を出すポケモンの声とか人間の役より難しいらしいし。
 釘宮声ならツンデレ美少女よりは少年役の声ぐらいが高さといい役柄といいちょうど良いかと。(下手な人ではないと思う。ハガレンのアルの役とか巧いよね。アルにも顔の表情は無いよ)
 ・・・だからNO☆N☆KEだってば。
 

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 ここ数日、気がつけば「友達」という人間関係についてつらつらと考えている時があります。
 仕事や学校での人間関係というのは皆お互いに自分を殺して接し合っているもので、これは自我・個性のぶつかり合いによる衝突を避けるため、物事を円滑に進めるために必要な心がけだと思うんですよ。
 だが友人と言う関係ではこれが無い。世間で抑えてきた自分を解放し一緒に羽を伸ばすための間柄が友達である、と言えなくも無い。それゆえに遠慮が無いのです。
 それゆえに時に意見が分かれ議論になる事もあるが、友達というからにはまず信条とかポリシーについては共通認識、見解の一致があり、人間として根本から対立する事はごく少ないのです。
 年齢が若い人ほど友達も多いが、これは人格の分化、個性化がまださほど進んでいない年齢だとお互いに意見の一致を見るのが割合簡単なためだと思う。ある程度「大人」になり個性が発達するとお互いに異なる部分が目に付きやすく、また相手を気配って近づきにくく、中々親しくなれないもんですよ。
 だから人は結婚して自前の家族を作るんでしょうなぁ。外国には遺言書で奥さんの事を(もちろん愛情を込めて)「最後までつきあってくれたただ一人の友達」と書いた男がいるそうですよ。
 (個性化の度合い=「大人度」と見る事ができるわけだ。私は昔から意外に有名人でこちらの知らない相手から親しくされるような事も多かったのだが、子供の頃から脳内が老けていたのか、私本人は相手が思っているよりは距離を置き勝ちだった。今でもこれは変わらない。ただの馴れ合いには慣れる事ができない。考えが顔=言葉に出やすいのだ。それだけに「この人物は・・・」と見た相手には遠慮も無いが見限る事も無い。こちらを裏切らない限りは)
 やっぱ自分を殺してまで友達ヅラして付き合い続けるのは良くない事だと思う。性格の合わない相手に対する不平不満を抑えつけ自分を騙し続けても結局は長続きせず、いずれは暴発してしまう。
 私の場合、信用も信頼もしていない相手には適当に距離を置いているつもりでも、何故か至近距離・個人領域・絶対防衛ラインまで踏み込まれ、大喧嘩になる事が少なくないのですよ。
 (「距離を置く」つまり私の場合・・・好きでもない人のブログや掲示板では長文は書かず、また頻繁に書き込む事もまず無いので、この信号はわかりやすいかと思う)
 あぁ、私は「真剣に真面目にものを考える事ができる人」「他人に誠実な人」「努力家」「礼儀正しい人」「苦労人」が大好きです。
 「不真面目で他人をぞんざいに扱い努力もせず他者の短所欠点をほじくり出しあげつらって貶す無礼なバカ」が大嫌いです。
 友達づきあいについては、もうあまり無理をせず自分を殺す事無く、もっと自由に振舞おうと思う。あまり自分を抑えつけても、遠からずほころびるものだからね。好きは好き、嫌いは嫌い。

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 ジュットランド沖海戦以後の英独の海の戦いが主な題材らしい。 私は海洋小説が好きでよく読むんだけど、最近『スミス艦長』シリーズというのを読み始めました。
 
 海洋小説と言っても、本場・英国のものは圧倒的に「海洋戦争小説」が多い。
 アルマダの海戦やナポレオン戦争、第一次大戦や第二次大戦。敵もスペインのガレオン船やフランスの戦列艦、海賊、ドイツの仮装巡洋艦やUボートや巡洋艦や巡洋戦艦。
 有名な作品を挙げるとC・S・フォレスターの『ホーンブロワー』シリーズやアレクサンダー・ケントの『ボライソー』シリーズ。『ラミジ艦長』シリーズというのもあった。
 主人公の多くが艦長である。駆け出しの水兵や士官候補生時代から物語が始まる事も多いが、巻を追うにつれ、階級が上がって指揮官になる場合がほとんどである。
 (昔は兵学校ではなく軍艦で、それも実戦で士官教育が行われた。ベテラン士官からは邪魔にされ熟練水兵からは煙たがられ、結構かわいそうな存在だったらしい)
 狭い軍艦の中での物語だから当然に集団を描くストーリーとなる。(スループやフリゲート、駆逐艦や巡洋艦というさほど大きくない軍艦が好まれるのは、人間関係が限定されて物語が進めやすいからかも知れない)
 水兵や部下の士官の視点から艦長や艦隊司令、提督を評する場面が必ずあるのだけど、異なる作家異なる作品でも「優秀な指揮官」の第一の条件として間違いなく挙げられるのが「公平である事」。
 「厳しい人だったが、公平な艦長でした」とか「恐ろしい人だがいい親父だよな、エコヒイキしなくてよ」といった意味合いのセリフが見られるのである。
 「公平である事」。これは軍隊に限らず、集団という集団の指導的立場にある者にまず最初に要求される資質ではないだろうか。
 私だって特定の人間ばかりエコヒイキする上司の下では働きたくないよ。面白い事にそういう管理職の人間は必ずといっていいほど、他の点でも愚劣である。仕事ができない人が多いのだ。

 pixivごときの代表を上役とか自分より優れた人物とか思った事は毛筋ほどにも無いけど、数十万もの人間が集まるSNSの運営会社の社長といえば、ある意味立場上は普通の大企業の社長などよりはるかに「指導者的資質」が要求されるのではないか。
 少なくともランキングなどというものは、ジャンルを問わず信頼性とか信用が一番の必須条件だろう。本来、公平無私でなくては成り立たないのがランキングである。でなければ意味が無い。
 それが目先の利益や自分勝手な理由による意図的な操作が加えられるとしたら、ユーザー特にがんばって絵を描いている投稿ユーザーが激怒するのは火を見るより明らかだ。

 (何度も重ねて言うけど、イラストSNS運営会社の社長が著作権を無視したパクリ、しかもトレス「作品」をオリジナル作品と同列に扱うようでは、信用ガタ落ちだろう。不公平どころの騒ぎではない。試しにトレスやパクリ、トレパクといった単語で検索をかけてみるといい。googleだろうがYahooだろうが、それこそ「トレパク」被害のオンパレード、著作権犯罪の百鬼夜行である。イラストSNSでも状況は変わらない。「トレス発見厨」なる珍語を発するようでは、現状認識が甘すぎる、認識不足も甚だしいと言われても仕方が無いのだ。そもそも、部分的なトレスや模写ですらせずにオリジナル作品を1から完全自作している絵師からすれば、「アウトプットさえ良ければトレスでも構わない」という発言は侮辱以外の何物でもない。これはどう見ても「作品」をただの「商品」としか見ていない俗物の発言だ。売れればトレスでも構わないというのか)

 もう社長なんて辞めてしまえ。お前の会社だろうけどな。荷が重過ぎるんだよ片桐。分不相応。

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職業:
てんしょくってなに?
趣味:
やればできるこです。やりません。
自己紹介:
 王様の耳はロバの耳。そうハッキリ言う人です。
 王様は裸だ。そうハッキリ言います。
 王妃様も裸だ、とは言いません。うぇっへっへ。
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