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ディケイド見た事無いです。 メアリー・スーって知ってますか?私はつい最近まで知りませんでした。
http://bmidvar.paslog.jp/article/1059722.html
(人気低下ブログ 『仮面ライダーディケイドはメアリー・スー』)

 要するに、現実の自分と境遇に強い不満がある人物が、満たされない願望を慰めるため、他人がこしらえた既存のフィクションの世界に送り込んだ「極端に美化された自分の分身」を指すらしい。
 何をやっても卒が無い、マルチタレントで頭脳明晰スポーツ万能文武両道、おまけに超美形で友人同僚たちからチヤホヤされまくりの人気者。つまり最強無敵の鼻持ちならないチートキャラが二次創作に出てきたらそれはメアリー・スーです。
 (性格についての言及はほとんどなく、「美形」だの「セクシー」だのと容姿の描写に終始するパターンが多いらしい)
 こんなもの読んでも書いた本人以外面白いわけが無い。痛いだけでなく不愉快でさえある。
 作者のナルシストぶり、その背後にあるどす黒い欲求、惨めったらしい劣等感、世間を呪う怨嗟の声。そういったものの生臭い臭いが強烈でとても最後まで読めたものではない。(奇妙な事だが、強い劣等感の反動でナルシストになる者もいる)
 しかも(「メアリー」以外は)他人の作った出来合いの舞台・登場人物をそのまま(まず許可無しに)流用しているのだから質が悪い。
 生理的レヴェルで不快なのである。
 
吉右衛門はいい役者だと思いますよ。 昔ずいぶんほめたし、よく書けているとも思うけど、私は『鬼平犯科帳』とか『剣客商売』とか『雲霧仁左衛門』の主人公にメアリー臭を嗅ぎ付けてしまう。
 どちらも二次創作ではなくオリジナルだが、長谷川平蔵宣以という人物は18世紀の実在の人物だし、雲霧仁左衛門も享保年間の実在の盗賊で、こちらは講談や歌舞伎にまでなっている。(秋山小兵衛の名前は確か鬼平犯科帳にもちょっとだけ登場する)
 一応は「創作」(商業作家だから当たり前だ)だから厳密には(正確には)池波正太郎の創造したキャラはメアリー・スーには当てはまらない。
 だが作者本人の臭いがプンプンするナルシスティックな要素などは、メアリー・スーに通底する部分が大きいかと思う。私は創作行為については厳しいのですよ。
 池波の主人公って「人間臭さが売り」とか言われてるけど、長谷川平蔵にしろ秋山小兵衛にしろ雲霧仁左衛門にしろ周囲から尊敬されチヤホヤされてばかりで優秀すぎて大きな欠点がまるで無い。二次創作でのオリジナルキャラでないという点を除けば、まんまメアリー・スーである。
 (美形ではないが容姿についての描写は克明である。ちなみに小説の鬼平は丸顔で小肥りだそうな。もちろん実在の長谷川平蔵宣以の姿形など記録としてどこにも残っておらず、完全な創作だろう。一方で性格は「ただの人格者」でしかない)
 物語や文章は優れているけど人物造形は極めて薄っぺらいんですよ。誰かを崇拝しないと生きていけない、女子中学生や萌えヲタじみた小市民のための安っぽいアイドルに過ぎないんですね。
 ただ池波は舞台の脚本家として鳴らした人だから、キャラクターの配置のバランスが絶妙に上手い。
 主役を引き立てるための脇役の重要性をしっかり意識している。だから臭さが目立たない。香りのきつい香辛料でごまかされた腐った食べ物も味覚が単純素朴な人なら気づかない。
 でも「大衆文学」としては人物造形が巧みで長編での構成力が高い中里介山よりむしろ退行している。
 そもそも現実には絶対に存在し得ない神の如きスーパーマンを主人公として登場させて、それを物語として(少なくとも近代以降の人間が読んで)不自然と感じないのは、物語の作者として致命的欠陥ではないか。
 池波キャラの多くが過去のある人間として暗い面を持っている、という指摘もあろうが、それがマイナス面ではなく「かっこいい」とされている時点でやはりセンスが幼稚である。悪に憧れる中学生みたいなものだ。
 何だかんだ言っても、司馬遼太郎や藤沢周平に比べてたら三流なんだよ池波って。

何度も言うけど、B・Jはマントなんか羽織ってないぞ。あれはコートなんだよ。 よく、「作者が顔を出している」って言いますよね。「あの主人公は作者本人の投影である」とか。
 この事自体は悪い事ではなく、それどころか作者が身を入れて執筆するためには必須事項かも知れない。
 手塚治虫の『ブラック・ジャック』などは作者自身が「私の分身です」と明言している。(本人も出てるけどね、友人の医者役で)
 だがB・Jをメアリー・スーだとは誰も言わないでしょ。(まぁ完全オリジナル作品だけどね)
 これはつまり、B・Jというキャラクターが欠点の多い人間だからです。
 世間からは金の亡者だの悪徳医師だの言われ、彼を理解してくれるのはごく一握りの人に過ぎない。
 孤高のヒーローといえば聞こえはいいが、実際に心の醜い部分を垣間見せる事もある。易々と読者に感情移入を許さないキャラです。
 (平凡でありきたりなキャラほど多くの人たちから支持されるのは、読者が各々勝手に思い入れる余地が広いからである。ただしそれが通用する商売は自我が未発達で個性が未分化な若年層相手に限られる。「自分」が出来上がっており他者にも個性を見て取れる大人には、没個性なキャラは全く物足りないものだ)
 どうして鬼平とB・Jでこうも差が出るのか。
 これは作者が主人公に託すものが全く違うからである。
 池波と違い手塚には「チヤホヤされたい」という願望が無い。
 手塚が感じ、思い、考えた事をメッセージとしてダイレクトに伝えたいがためだけにB・Jは存在する。
 逆に鬼平からはメッセージどころか、個人としての信条すらも読み取れない。
 「オレってすげぇだろ、カッコイイだろ憧れるだろ」という未熟な自己顕示欲と幼稚な自己陶酔ばかりが鼻に付く。
 手塚もなるほど、欠点の多い人間ではあったが、自分の醜悪な部分までを見徹す冷徹な視線を持っていた。だから分身であるB・Jはナルシストのスーパーマンにはなり得ない。(B・Jがマジで悪人に見えるエピソードが時々ある。復讐の鬼だったりするし。少なくとも単純な人情家では決してない)
 また当然ながら人格・能力(それに容姿)全て満点のスーパーマンが実在し得ない不自然な存在である事にも気づいていた(普通は気づくだろ)。
 手塚は大人なんですよ。
 
 興味深い事に、手塚は非常に目立ちたがりで、TV出演の依頼があれば忙しくても無理をして出演したそうである。池波にはそういう話を聞かない。
 手塚の主人公がメアリー・スーでないのは、作者が現実世界で自己顕示欲を十分に満たしていたからか(笑

 『地獄八景亡者戯』をやる度に「近日来演」と言ってました(笑 ・・・だんだん心配になってきた。 桂米朝が言っていたけど、上手い噺家の落語は聞いているうちに「演者が消える」そうである。
 もはや誰が語っているのか気にならない、それくらいに聞き手を没入させてしまうのが優れた噺家だそうだ。
 鬼平は池波そっくりの顔をしているのではないか、そう思うくらい池波作品は演者が消えない。
 作劇の技術は大したものだが、作者のメンタル面での未熟さ・性格上の欠点が池波作品には目立つのだ。
 これは映画俳優にも通用する法則らしい。ジョニー・デップなどが好例か。
 デップといえば奇妙な役どころばかり好んで演じる事で有名だが(『チャーリーとチョコレート工場』の撮影現場を訪れた自分の子供に「お父ちゃんまたこんな役か」と呆れられたそうである・・・)、「ごく普通」の外見をした仕事に『エド・ウッド』という映画がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89 
『プラン9・フロム・アウタースペース』。アメリカ人なら誰でも知ってる「史上最低映画」だそうな。アメリカ人は何でも世界一でないと気が済まないらしい。 エド・ウッドとは「史上最低の映画監督」と呼ばれながら反面、誰にも引けを取らない映画への熱意と愛情から、マニアックな映画ファンに愛された人物である。
 『エド・ウッド』の監督であるティム・バートンはじめタランティーノなど、いかにもな映画監督がファンだったりする。
 主役のエド・ウッドを楽しげに演じているのがデップなんだけど、映画を見ているうちに「あれ?この役者誰だっけ」と思った。つまり、強烈な印象のあるジョニー・デップという役者が消え、そこにいたのはエド・ウッド本人だった。
 私にはせいぜいそれ以前は『シザー・ハンズ』の人造人間のイメージしかなかったのだが、この映画を見てジョニー・デップという役者の力量を知った。
 (私が石原裕次郎や渡哲也といった連中が大嫌いなのは、彼らは何を演じてもあくまで石原裕次郎や渡哲也であり続けるからだ。役者としては大根もいいところである。彼等の「信者」って大抵頭が悪いでしょ。崇拝すべき対象が無いと生きていけない小市民にはむしろ役者が消えない大根役者の方が好ましいのだろう。さすがに近年こういう役者が少なくなってきたのは良い傾向だと思う)

 メアリー・スー「的」人物は何もフィクション作家ばかりとは限らないようだ。作者本人の分身どころか、まんま本人が「物語」で活躍するケースもある。
 「アラビアのロレンス」という名で知られるT・E・ロレンスなどがそうではないか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9 
 第一次世界大戦の中東における軍人としての彼の活躍は、彼自身の著書である『知恵の七柱』およびそのダイジェスト版である『砂漠の叛乱』で有名だが、これは多分に「脚色」が為されているらしい。
ピーター・オトゥール自身は188センチと背が高かった。ロレンスは身長165センチ。 スレイマン・ムーサの『アラブが見たアラビアのロレンス』によると、 アラブ側から見て事実の歪曲・大袈裟な美化・過剰な自己評価が見られると言うのだ。
 (アラブの諸部族を糾合した指導者の一人ファイサルは、当初ロレンスを周囲に居る大勢の外国人の一人としか見ていなかった。だから『砂漠の叛乱』にある「叔母から贈られた絹に金の刺繍が入った美麗な婚礼衣装をプレゼントされた」云々という記述などもウソで、実際に与えられたのはごく普通のアラブの衣服であり、これはアラブ人に交わって生活する外国人のための最低限の便宜の一つに過ぎなかった。明治時代の横浜には羽織袴を普段着として着こなしていた西洋人も居たそうだ。残っているマテオ・リッチの肖像画も中国の衣服の姿である)
 しかしアラブの独立を願うロレンスの真摯な思いは本物であり、だからこそ第一次大戦後に西洋列強に食い物にされつつあったアラブ諸国のためにも奔走したわけだが、自分を英雄視したい・されたいという激しい欲求も本物だったようである。
 (デヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』にも、婚礼衣装に着替えた自分の姿に陶然とする場面がある。リーン監督はロレンスという人間の本質を見抜いていたようだ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB
 生来のロマンティストであり、だから考古学者であると同時に優れた軍人であり得たのだが、このような人物には現実逃避と自己否定の傾向が伴う場合も少なくない。
 ロレンスは退屈な世界・退屈な自分に飽き飽きしており、だから苛烈な戦場に身を投じた。自己滅却、自分を消し世界の一部になりきる事こそが最大の望みであった。
 『砂漠の叛乱』を読んでいても、意外な事にメアリー・スーの臭いは全くしない。灼熱の太陽、乾ききった(清潔な)砂漠、血生臭い戦闘・・・ロレンスの目を通した情景と彼の冷静な思考の流れがあるだけで、読者は読み進むうちにたちまちその世界へと引き込まれる。作者の臭い自画自賛は欠片にも無い。
 それどころか作者個人は物語から消えている。 彼の「脚色」は自分を飾り立てるためではなく、自身が変容するため、むしろ今までの自分を消すためのものなのだ。ただ立ち位置、方法がメアリー・スー「的」なだけである。
 (遠まわしに)自分の分身を登場させながらもあくまでも自己賛美が濃厚な、しかし純然たるフィクション作家(実在の人物を素材に使ってはいるが)ではある池波とは正反対のパターンである。
 メアリー・スー、池波正太郎にも実は秘めた自己否定的傾向があったのかも知れないが(メアリー・スーには強い不満が付き物だ)、着地点がまるで違う。池波はロレンスほど突き抜ける事が出来ず、スイーツ(笑)じみた自己陶酔ばかりが鼻に付く。
 一個人が消滅して半ば普遍的なヒーローとして昇華される過程も物語も思索も無く、ただ個人ばかりがしつこくそこにある。

 思索的な人間、知的な人間は、分身どころか自分自身を主役として物語に登場させても、メアリー・スーにはならないものらしい。
 あぁ、読み物としては面白いですよ、池波正太郎の小説は(笑

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