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 青空文庫で、夢野久作の『死後の恋』を読みました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2380_13349.html
(青空文庫 夢野久作『死後の恋』)
(驚いた事にかなりの長編である、あの『ドグラ・マグラ』まである)
 映画にもなりました。桂枝雀の怪しげな演技が光ります。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya
/senya0400.html

(松岡正剛の千夜千冊 夢野久作『ドグラ・マグラ』)

 私はグロとか残酷描写が大嫌いで、スプラッタ映画など絶対に観ない人間なんだが、なぜか夢野久作には強く惹かれるのです。
 おそらくは作品が小説であり、あからさまに残酷描写が画像として突きつけられる事も無く、また夢野久作の狙い自体がグロ趣味そのものの追求ではないからかも知れません。
 ロシア革命について調べていたら、それを題材にした夢野久作の『死後の恋』に行き着いたのですよ。

 ロシア革命の動乱の最中、白軍の兵士になった二人の若者の、死を超越した、凄絶なほどに美しい恋の物語、といっても夢野久作の事だから一筋縄ではいかない。(若者の一人は実は娘である。腐女子の人は残念だったね)
 ネタばれになってしまうのであまり詳しくは書けないのだけど、私は一人の娘の死によって象徴された「文化の死」というものに感銘を受けた。
 語り部である頭のおかしな紳士は元々は貴族の出身で、赤軍のスパイの目を恐れて自らの知性と教養、貴族的な芸術愛好の習慣をひた隠しにして身分を偽り生き延びてきた。彼の目に映る革命とは、ツァーリ(ロシア皇帝)を頂点とした支配者階級が育んできた高度に洗練された貴族文化が、粗暴で愚かで下劣な民衆に無残に踏みにじられ破壊される過程でしかない。
 そして彼にとってその破壊は、獣のような赤軍兵士たちに陵辱されて殺された、無残ではあるがどこか美しい恋人の死体を見る事で完結する。娘は、臓物をむき出しにした下腹部に、結婚費用になったであろう家宝の宝石を散りばめて死んでいる・・・。
 貴族階級とその文化の終焉は、古めかしいが燦然と輝く宝石の一粒一粒に飾られた、美しい少女の屍によって結晶化されたのだ・・・。
 この、残酷で血生臭くグロテスクではあるが、奇妙な美しさを湛えた死体が象徴する「文化=芸術の死」によって、夢野久作はヴィリエ・ド・リラダンやユイスマンスに近づいているのではなかろうか。 

 産業革命以後、民主主義とともに民衆向けの安っぽい大衆文化が出現し、高い教養と素質を要求される高度に洗練された貴族文化は圧倒され、本物の芸術家の目にはそれら本物の文化は消滅してしまうに違いないと映った事だろう。(その俗物ぶりにエワルドを失望させた恋人アリシヤは、資本主義社会特有の立身出世に取り憑かれている。エワルド自身も産業革命のトップランナーである英国の貴族である。英国の貴族は国土の狭さのせいか、大陸諸国の貴族に比べて早くから「実業家」的性格を色濃く持っている)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0953.html
(松岡正剛の千夜千冊 ヴィリエ・ド・リラダン『未來のイヴ』)
 
【ニコニコ動画】未來のイヴ オーケストラver. フル
 搾取され続けた民衆の蜂起と王侯貴族による専制政治の崩壊。または市民階級の台頭と支配階級の没落。
 それらの変化によって資本主義社会・大量消費社会が登場した。もはやパトロンたる支配者階級は存在せず、芸術家は大衆に仕える職人と化してしまった。
 19世紀の芸術家の多くに見られる懐古的態度の背後には、そのような気分、悲嘆が見られるのだ。
 (実際には芸術的素養を持たない貴族も多かったには違いないが、少なくともそれらを嗜むのは必須の教養ではあった。芸術家にしても時には幇間じみたご機嫌取りが必要だっただろうが、芸術的素養が皆無のパトロンの方が上手く言いくるめられて自由が利いたかも知れない)
 庶民階級出身のH・G・ウェルズや、労働者階級、貧しい人々に人間的な関心を持ったギッシングのような作家の作品にさえ、来るべき時代への不安と危惧、警戒が多く見られるのである。(そういえばギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』の主人公もユイスマンスの『さかしま』の主人公と同じく、騒がしくなってきた都市を逃れた隠遁者である。ギッシングは素朴な庶民の文化も愛していたが)
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/181.htm
(京都外大付属図書館HP ジョージ・ギッシング 『ヘンリ・ライクロフトの私記』)
http://itu.blog5.fc2.com/blog-entry-234.html
(カタヨリ紙 J・K・ユイスマンス 『さかしま』)

 ミームというのは、一言で言うと一方から他方へと伝播そして波及と増殖を繰り返して勢力を拡大する「文化の最小単位」、言い換えると「文化の遺伝子」だそうである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0
 実態が簡単に把握できない、少なくとも数字に直したり箱に詰めたりできない「文化」という代物が増殖したり進化したりするというと、まるで生き物のようである。
 生物の群れ、またはもっと大きく、「種」そのものを巨大な生き物の個体として考える人も(一部には)あるようだが(地球自体を丸ごと一個の巨大な生物として観るのが「ガイア仮説」である)、ならば「文化」というものも一個の生き物、少なくともその一部と考えても差し支えないと思う。
 革命というのは、不当に虐げられてきた被支配層の民衆が(大抵の場合暴力的手段によって)圧制者を覆す行動だが、ではなぜ民衆は革命を起こすのか?
 貴族など支配階級がその文化を発展させ維持させるために、民主を抑えつけ搾り取ってきたからではないだろうか?ではなぜ貴族たちにはそこまで民衆を抑えつける必要があったのだろうか?
 フランス革命直前、国庫が干上がり国力が傾くほどに王侯貴族たちが贅沢三昧に暮らした。
 マリー・アントワネットとルイ16世の頃には、夜毎ベルサイユ宮殿で絢爛豪華な宴が繰り広げられていた。
 (面白い事に、ルイ16世もニコライ2世も、ともに地味でどちらかというと家庭的な人物だったらしい。ごくありふれた平民の家庭に生まれた方が彼らも幸せだっただろう)
 貴族たちは、文化という暴君に仕える使用人であった、と考える事はできないだろうか?
 ロココ趣味は大袈裟で馬鹿馬鹿しく、そのケバケバしさがかえって俗っぽく見えない事も無いが、後のフランス文化は貴族たちがその土台を築いたのだ、と言えないだろうか?(高級フランス料理の元となったのは宮廷料理である)
 ひょっとすると、人間は文化という巨大な怪物に仕えるために存在するのではなかろうか。そしてその怪物は多くの民衆を圧迫し苦しめ、不満は暴力として爆発するほどに高まった。
 それほどに強大な力を持つのが文化という怪物ではないだろうか。

 21世紀の今日、怪物はますます膨れ上がり、さらに愚かになっている。
 この文化という白痴の巨獣、中身の無い数字を大量に食らって膨張を続ける化け物は、CDやDVDの売り上げランキングなどの商業上の数字だけでは飽き足らず、アマチュア創作家(数字に惑わされない純然たる創作家)の住む場所にまで押し寄せてきた。
(「正当」な評価と人気は必ずしも一致しない、むしろ一致しない方が多いのは言うまでも無い)
 ・・・イラストSNSには採点制度もランキングも要らないよ。

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