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 えーここんところ青白い書生みたいなj.kであります。
 
 『人造美女は可能か?』、2遍読んだですよ。
 いやさぁ、意外に扱ってる分野が広くてねぇ。ついでにヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』も併せて読んでるんだけど。
 観念の中で生きてる男またはそれを研究している人の主張や意見というのは、付き合うのが大変なんですよ。まるで観念の御殿の中で一人さびしく(実はさびしく思っていないらしいが)生きてるみたいだ。

 マラルメの詩にオートマトン(自動機械。オートマタ)を見出だす。ある特定の単語が脳裏から離れず、その言葉は詩人の脳内で「自的に」勝手に進化と増殖を続け、言葉に支配された人間は「言語サイボーグ」と化す、云々。
 (『GHOST IN THE SHELL』みたいだな)
 人間が言葉を持ち、それによって自然は秩序と体系に組み込まれ、その時点で人工物になった、云々。
 等々、仏文学者はフランスに詳しいせいか、構造主義にまで考察が及ぶのだ。
 (デリダなんて名前が出てくるとは思わなかった。関係ないけど『魔法陣グルグル』って、哲学関係の人の名前がたくさん出てくる。デリダ、とか)
 惜しむらくは、言語の「自律性」にまで話が拡がるのなら、もう少しがんばってミームにまで手を伸ばして欲しかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0
 構造主義の人は、ミームをどう考えているんだろう。私は門外だからよく知らない。専門の人詳細キボンヌ。
 
 で、ホフマン、ポーなどによって、本物の美女というものは、「実際に生きてはいないため」死というものと表裏一体とされる。
 ポーという人は、幼い頃に母親と死に別れたので、どうしても女性像に死が付きまとうのは仕方が無い。
 (男はどうしたって、母親から影響を受けて恋をするものだ)
 だが、ポーと同時代であったディキンスンという女流詩人の、「死んだ自分」(「死後の世界」について、ではない)について語った詩はどうだろうか。
 いずれにしても、「永遠の女性」に取り憑かれた「独身者」(実際の既婚未婚は無関係)たる詩人は生きた女より「死んだ美女」を真実の美女として謳い上げているのだ。
 
 levefuture.jpg
 ヴィリエ・ド・リラダンの美女。これも人工物である。生きてはいないのである。
 作中、「真実の美女」を創造すべき発明家(電球とかこさえた人がモデル)は言う。
 「魂なんか入れませんよ。あんたも『あの女から魂を抜いてもらえたら』つったでしょ?」
 (ある種の知性を備え付ける、とは言っているが、知性と魂、判断能力と人格はどう違う?説明するところによれば、あらかじめ設定された膨大な「条件反射」により現実の人間と見まごうばかりの反応をする、とされる。まさに「機械」なのだ)
 
 ポーにしても、『未来のイヴ』のエワルド卿にしても、生きた女性とは直接的には無関係な「観念」に恋をして(というか崇拝して)いるのだが(「永遠の女性」像というものはプラトンを持ち出すまでも無く観念以外の何物でもない)、振り返って我々はどうだろう。
 ユング派の解釈によれば、恋という行動は、特定の異性に対して自分の「理想像」を押し付ける事によって始まる、とされる。
 男性にはその心に、普段は社会生活上止むを得ず抑圧された女性的な部分がある、とユングは言う。
 これを「アニマ」という。例のあの、「無意識」の領域に、通常は隠れている。
 (女性の場合、隠された「男性面」を「アニムス」という)
 これが即ち、その男性にとっての「理想の女性」像なのである。
 (「男女はハサミの片方ずつ」と、雷で有名なフランクリンも言ってるね)
 そして現実の恋人が男の「理想の女性」像から段々ずれていくのが、恋の冷めていく過程、なのだそうだ。
 恋が冷め、それが愛へと成長するのが、当事者の成長でもある、と。
 その過程に我慢がならず、次々と彼女を替えては別れる、という行為を繰り返すのがプレイボーイとか恋多き女とか呼ばれる人種なのだそうだ。あくまで生きている相手を愛せない人間なのである。
 (ユングによればドン・ファンもカザノヴァも成長できない子供なのだ。ユング自身も女性関係が激しかったそうだけど・・・)
 多かれ少なかれ、人間、観念に恋をするものらしい。
 (『未来のイヴ』で発明家は「あなたはあなたの魂に恋をするのです」と言っている。鋭いな。ちなみに「アニマ」とは「魂」という意味である。これが変化して「アニマル」「アニメーション」という言葉になったのは興味深い)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0830.html
 詩人ではない男は、成長するにつれアニマを上手に自分の心に統合していく。
 だが詩人は「永遠の女性」を、まるで特殊な薬液や冷凍装置などで保存処置を施された死体のように保ち続ける。
 あるいは女神の姿を彫刻したピグマリオンのように再生し続ける。

 マラルメの詩などによって、言葉が、観念が持つ自律性(それは詩を紡ぎ出した詩人すら支配する)が明らかにされた、とあるが、自律性すなわち誰からの支配も庇護も受けずに自ずから成長し進化するサイバネティックな存在は果たして生命か否か。あるいは自ら意図して行動し判断する存在は魂をもつか否か。
 つまり、言葉、観念というものは、実は冷たい、死せるものではなく、むしろ生きているものではないのか。
 ミーム、という概念は、文化の遺伝子とも言われる。ミームそのものも、まるで自らの意思を持つような動きをする。
 生命と非生命、有機物と無機物の境界線はひどく曖昧である。
 生体の細胞を攻撃し病気を発生させるウィルスにしても、生物なのか否か、とよく議論される。
 (生物にしては構造が単純すぎ、状況によっては活動を完全に停止したりする。生存のため一時的に仮死状態になる生物はいるが、完全に活動を停止できる生き物はいない。ウィルスを生物とみなさない限りは)
 遺伝子というものも、有機物とはいえそれ自体は生物とは言い切れない。
 が、マラルメによれば、言葉は「生きている」。詩人から生まれ、詩人に寄生し、詩人を支配して増殖し進化する。
 ポーの小説『リジーア』(美女の死と妖怪じみた復活)、詩『アナベル・リー』(死体愛好症を思わせる幼年期の恋の思い出)。
 そしてマラルメのエロディアードも、詩人の生命力をむさぼる吸血鬼である。
 どちらも血の通った恋とは言い切れず、また生気ある女性像でもない。貧血症気味の、動ではなく静的な愛である。観念の恋だ。
 エワルド卿の新しい恋人も、活動を停止する必要がある時には柩そっくりのケースに横たわる。
 詩人は「生きている」言葉を持って、死せる美女(あるいはその再生)を謳うものらしい。

mr_rah__ayanami_h.jpg
 現代の人造美女であるアニメやマンガ、ゲームの美少女たちも、当然歳を取らない。    
 綾波レイなんかもう10年以上も14歳だ。
 (ミームとして見ても「綾波レイ」は相当に強力な存在だ)
 そして美少女たちはそれそのものが巨大な生き物である市場経済や情報メディアによって日々(成長しないまま)進化し増殖していく。

 現代日本は、何百万何千万もの「独身者」が死せる美女と戯れる社会なのである。
 

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