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 やぁ。私の事を心配してくれたごくごく少数の人たち(おそらくほんの2、3人)と、毎日律儀に貼り付いてくれている多くの「ウォッチャー」の皆さん、お久しぶりです^^
 正直なところ、昨日の朝から下し腹で体調が優れないけど、とりあえず何か書くね。

 ここんところ何かとめんどくさくなって、少しばかりボーっと日々を過ごしていたわけですが、こういう感じを一部では「生挫折」と呼ぶそうな。
 要するに、「何をしてもつまらない」「新味を感じない」「退屈で不毛な感じがする」「あらゆる行動が無意味で無価値に思える」、といった症状である。
 こういう時期には私はコリン・ウィルソンの本を読み耽るわけですが、そもそも「生挫折」という単語は彼が考え出したものらしい。この「生挫折」という課題が、一貫して変わる事が無い彼のライフワークである。
 何ぶん、主な著作が50年代後半から80年代(それ以後の著作には以前の精彩が欠けているように思える)に発表されたため、思想にも時代の匂いが濃厚に漂う。現代ならば先に挙げた症状は全て「うつ病です」の一言で片付けられるだろう。
 (私は真性のうつ病患者を身近に知っているが、私の「症状」がただの風邪程度に見えるくらい、深刻な症状である。まず「目つき」「顔つき」からして違うのだ。だからここで軽々しくうつ病について語るのは避けたいと思う)
 彼の執筆活動の最大の特徴は、一方で宗教人や芸術家といった文化の頂点・文明の進化の先端にいる人々を取り上げ、もう一方で婦女暴行魔や快楽殺人者という、獣性を剥き出しにした、人として最低の階層に存在する人種を扱っている、という点か。
 (彼によると科学者も芸術家の一種だそうである。私も理系の女性と交際していた事があるが、彼女が目を輝かせて科学技術を熱く語る時の表情は芸術家の子供っぽいそれと全く変わらないものだった)
 「生きる事」の喜びの最たるものが宗教や芸術にあり、それが叶わぬ場合、人は正反対の極へと暴走する事があるという。
 (バーナード・ショー曰く「芸術家はその最高の状態を評価し、犯罪者はその最悪の状態を評価せよ」という事である。・・・間違ってたらゴメン)
 強姦や殺人という凶悪犯罪は全て「生」に深く関わっている。人はそれほどまでに「生」というものを強烈に感じ取りたいと欲するものらしい。
 
 ウィルソンによると、19世紀より過去の殺人は「生活のため」という、実際的な動機によるものがほとんどだという。「食うため」に人を殺し、金品を奪う犯人しかいなかったのだ。また強姦などの性犯罪も近代になって急激に増加した。
 (現代と違い、売春行為は合法であったにもかかわらず、である。違法であっても半ば合法的な「商売」ではあった)
 この犯罪の本質的変化が始まるのは19世紀後半から20世紀にかけてである。
 快楽殺人、「殺人のための殺人」という犯罪が登場するのだ。
 人間という種族、文明に何が起こったのか。

 ウィルソンが自説を補強するためによく援用するのが、A・マズローの「欲求階層説」である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
 (最近は経営コンサルタントなんかが「あれはサラリーマンの自己啓発や社員研修にはあまり当てにならない」とよく言ってるけどそれは当然である。生活が安定すればそれで満足する人も多いのだ。NHK教育の『サイエンスZERO』でも取り上げていたが、現状にすぐに退屈しやすい人、言い換えれば進歩成長・自己実現への欲求が強い人は「新奇探求生」が強い人なのだ。これは「満足」を感じ取るための脳内の神経伝達物質の分泌が少ないか、それを受け取る受け皿が少ないか、といった、いわば「満足しにくい人」なのである。こういう人は日本人にはあまり多くはいない。ちょっとでも変わった行動を取りやすい人、ユニークな存在が笑い者にされ煙たがられるのが日本という社会だが、現状でほどほどに満足できる人が多いのならこれは仕方が無い・・・。あぁよくわかりますよ痛感してますよ。オレもすぐに「痛い人」扱いされるからねぇ。『まんが日本昔ばなし』には「正直で善良な働き者」と「狡猾で邪悪な怠け者」という対比が繰り返し登場するが、何か新しい事を始め、革新的な仕事を為すのはおそらく後者であろう。平凡で変わり映えしない毎日では「新奇探求性」はたちまち膿み疲れ、やる気の無くなった「アウトサイダー」は変化に乏しい暮らしの中で腐っていく・・・。江戸時代の日本のような社会では高い「新奇探求性」の持ち主ほど悪役扱いされたに違いない。『三年寝太郎』などは「新奇探求性」の強い「改革者」が高く評価された珍しい例である)
http://www.youtube.com/watch?v=2eV6v603MZM
 つまり産業革命から後、社会の生産性が飛躍的に高まり、飢え死にする人がいなくなり同時に余暇も増え、人々は暇さえあれば「自分が何者であるか」に付いてつらつら考えるようになった、という事である。
 アイデンティティの確立はまず社会における「承認」、平たく言うと世間から認識され、スタンス・立ち位置・「自分の居場所」が定まる事からまず始まる。
 自分の能力(容姿などもこれに含まれる)が褒められると嬉しいのは、そのような理由からである。
 社会による承認が無く、「自分の居場所」も定まらず、アイデンティティを阻害された者の多くが「見限られた」と感じ、犯罪者と化す。
 (まぁ大抵の人は若い頃に何がしかの「やんちゃ」な経験があるものですが、若者とはアイデンティティの確立のために多くの承認を求めるものだから当たり前ですな。盗んだバイクで走り出すとは限らんが。母親が居らず父親とも疎遠であり、そして第三新東京のNERV本部であらためてたった一人の肉親との心の距離に気づかされた碇シンジは、その感じやすい内罰的な性格ゆえに他人を損ねる犯罪には走らないだろうが、ミサトやアスカ、トウジ、ケンスケを始めとする周囲の人々の愛情に恵まれなかった場合、「自殺という殺人行為」に手を染めたかも知れないのだ。ちなみに21世紀初頭の日本では年間約3万人もの人が自殺で亡くなっている。これは通常なら戦争状態にでもならないと出てこない数字である。日本という国は「自分の居場所」が無い、不幸な人が多い社会なのだ)
 「自分は何者であるか」という明確な自己イメージがぼやけて曖昧になると、才能ある人ならば何らかの自己表現に努力するものだが、アイデンティティの確立を強く意識するだけの知能がありながらも何の自己表現の手段も持たない者、こういう人物がどうやら犯罪者としての「資質」の持ち主のようである。
 また住所不定・無職という男は犯罪に走りやすいとされているね。これは文字通り「自分の居場所」が無いからだろう。
 強姦や殺人が「生」と深く結びついているのは言うまでも無いが、これに加えて、これらの犯罪は手っ取り早く他者を圧倒し屈服させる事ができる犯罪でもある。
 他人の境遇を支配しコントロールできるだけの自分の力が、醜く歪んだ形とはいえ直接的に強烈に実感できる行為なのだ。
 それらの犯罪行為の真っ最中では、常に自分をチクチクと苛む鬱陶しい自我は消滅し、加害者は決して「社会で爪弾きにされる、無価値な鼻つまみ者の負け組」ではなく、自分があたかも全能の神となったような錯覚の恍惚を覚えるものだ。
 (陵辱系のエロゲが一部で問題視されているが、あれらを犯罪の元凶とする人たちは人間の本性が理解できていないのだ。人畜無害な代償行為、犯罪の代替物というものも必要なのですよ。18歳未満の未成年者でも容易に18禁アイテムが入手できるのが今の日本だが、その反面「世界で一番治安がいい国」でもある。犯罪件数は何と昭和30年代よりもはるかに激減しているそうだ。韓国など性に対するモラルが厳しい国ほど強姦の件数が多い、という報告もある。・・・まぁ日本は「世界で一番自殺者の多い国」でもあるが、これは18禁に対しての規制の緩さとはどう考えても無関係である。だから私は陵辱系エロゲの規制には断固反対するものである。ははは)
 可憐な少女を犯し屈強な男を殺害する犯罪者には間違った「全能感」が伴い、これが習慣性を持ち中毒となった時、連続婦女暴行魔や大量殺人犯が生まれるのである。
 ではいかにして、犯罪者の誕生を未然に防ぐのか。
 人間らしく生きるにはどうしたら良いのか。

 まずは倦怠感にどっぷり浸かってしまう好ましくない状況を、回避または改善する事が肝要である。
 退屈で怠惰な心境になりがちな人ほど、「自分が何者であるか」を見失いやすいからだ。そしてこのような強い新奇探求性の持ち主ほど、閉塞感が長く続いた場合に思い切った行動に出やすい。それが必ずしも犯罪であるとは限らないが、犯罪である危険性も無いわけではない。自己表現手段に欠けた人ほどその恐れも大きい。
 何か新しい事を始めた時、人はワクワクするものだ。だがそのワクワクは長くは続かない。新鮮味を失い、ありふれた経験になるからだ。
 恋愛が4年ほどしか続かない、といわれるのはそういう理由からである。(恋を愛にまで成長させるのが人として正しい、と言っちゃうのは野暮ですかそうですか)
 目の前にある作業に不慣れな段階だと精神を集中する必要があり、退屈している余裕など無い。これが手馴れて、よそ見しながらでも適当にこなせるようになると、人が先天的に備えている機能、無意識下のある能力が仕事を引き継ぐ。精神力のコストダウンのため、仕事が半ば「自動化」されるのだ。
 この能力をコリン・ウィルソンは「ロボット力」と名付けた。
 人が退屈な毎日を過ごし、だんだん怠惰になっていくのは、この「ロボット力」が人の心を支配していく過程なのである。
 なるほど、この能力は仕事を無駄なく効率よくこなすには大変便利だが、過ぎたるは及ばざるが如し、酷くなるとロボットが主人である人間を逆に支配してしまうのだ。
 (星新一の『きまぐれロボット』という作品は、これを逆手にとって時々思い出したように暴れだし、主人である人間に活を入れるロボットの話である)
 グルジェフ(コリン・ウィルソンお気に入りの人物の一人)の方法によると、まず唐突に(その人にとって不慣れでかつ不快な)労働を課すのである。
 これは当然、その人のロボット力の支配を突き崩す事になり、仕事を続けるうちに最初の不快な感情はだんだんと楽しい気持ちに取って代わられる。
 (軽いうつ症状には適度な運動が奨励されるが、これもほぼ同様の効果がある)
 「やりたくない」事をわざとやる、しかも身を入れて真剣にやる、というのが大事なのだ。
 加えて、「自分が無能で価値の無い人間であるのを辞める事」。
 アイデンティティの確立の阻害が犯罪者への第一歩であるのなら、むしろこれは最優先事項である。
 具体的には自分が誰かのために役立てる事を実感する。
 欧米などでは、軽犯罪に対する罰則としてボランティア活動に従事させる、というものがある。言うまでも無く、これは犯罪者の更生を念頭に置いた措置だろう。
 自分の「売り」、特定の得意分野を伸ばし成長させるのも早道だ。
 アメリカのスポーツ選手には得意不得意のムラが大きい人が多いが(打撃力はずば抜けているのに守備がダメだったり脚が遅かったり、という大リーガーは珍しくない)、アメリカ人は極めて新奇探求性が高い国民とされているのだ。(だからスカイダイビングやドラッグレース、ロデオなど一歩間違うと生命が危険に晒されかねない、特に集中力を要求されるスポーツの愛好者が多いのである)
 「他はともかく、これだけは他人に決して負けない!」という「売り」の持ち主ほど、退屈そうな顔はしていないものだ。いつも活き活きしている人が多い。要は、秀でた自己表現手段を手に入れるわけだ。
 また、他人との交流を活発に行うのも大事だろう。何となれば、「人は他人から自分を推し量るもの」だからだ。
 多くの他者との血の通った付き合いから、おのずと「自分の居場所」も定まるものである。
 
 古今東西の芸術家や思想家、学者とその業績、宗教や思想や発見が開陳され縦横無尽に繰り広げられる博覧強記なコリン・ウィルソンの本はその重厚かつ真摯な内容にもかかわらずスリリングで読んでいて楽しく、長時間の読書でも決して飽きさせない。
 不幸な事件、悲惨な歴史、人類の犯罪行為と、暗く重苦しい記述も盛りだくさんではあるが、それでも明るさ朗らかさが全く損なわれないのは、コリン・ウィルソンという人が本質的に楽観主義者であり、人間に対して深い愛情と信頼を持ち、絶対に希望を失わないからであろう。
 数十億年前の太古の地球から人類の未来に至るまで、まずその雄大なまでにパースが効いた視点を通じて展開される世界そのものに、つまらない日常と日々の瑣末事を忘れさせるだけの躍動感・力強い開放感がある。想像力(これもウィルソンの思想を語る際のキーワードである)を著しく刺激されるのだ。
 ゲーテやバーナード・ショーに連なる現代の優れたロマン主義者、と言われる所以である。

 退屈している人、まずは彼のデヴュー作の『アウトサイダー』からでも、読み始められてはいかがだろう。すげーおもすれーぞ。
 
  

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ウィルソンというと
クトゥルフ神話につながる部分しか知りませんが、彼の見ている世界は拙者がFANである江戸川乱歩に通じるものがありますな。

乱歩の作品にも、これに近い発言、思考形態をしている登場人物(at猟奇者)が多数出てきます。

通常の人とは違った独自の視点を持った人間は、表現においては強力な武器になりますね。
☆川 月海 2009/06/28(Sun)16:19:46 編集
 結構お茶目な人みたいですよ、ウィルソンさんは^^
 「凶悪な犯罪者は逆立ちした宗教者・芸術家である」という、とんでもないがその実、真実を鋭く突いた画期的な視点で最初に人間を語ったのがコリン・ウィルソンです。
 屋根裏や椅子の中、浅草12階や「のぞきからくり」という、まんまダイレクトに田代神な窃視者の視点から人間を覗き見したのが、江戸川乱歩という人であります。
 どちらも、視点を変えれば世界は全く違った様相を見せる、という事実を指し示したユニークな才能ですね。
 
 宗教者と犯罪者が同じ人間性の裏表である、という事に最初に気づいたのはおそらくドストエフスキーですが、この人はロリコンでありました。
 (『悪霊』の作中、スタヴローギンが過去に幼女をレイプした事が暗にほのめかされています。悩み苦しんだ少女は自殺してしまいます)
 モラルが厳しい19世紀の事です、ドストエフスキーは必死に押し隠すしかなかった自分の欲求に強い罪悪感を持ち、葛藤は激しかったのではないでしょうか。
 犯罪者の視点から小説を書く、というのは、自分を潜在的な犯罪者(しかも幼女相手の強姦魔)と考えていた男ならではの作風なのでしょう。
 そしてそれは同時に神による魂の救済を求めるプロセスでもあったに違いありません。
 宗教者と犯罪者の対比のくっきりしたコントラスト、というのがドストエフスキー作品の第一の特徴であります。

 やはり創作行為においては、その作家独特のユニークな視点が最も重要なのでしょうね。


 ラヴクラフトは没後数十年も経ってから高く評価された小説家ですが、これにはウィルソンも大きな貢献をしたはずですよ。
 自分の本で紹介した上で「これぐらいオレにも書けらぁ!」と競争心に燃えてSF書いた人ですからね(笑
 ちなみにウィルソン、イングランドのレスター出身ですが、のちに南部のウェールズのコーンウォール地方に引っ越しています。(C・W・ニコルさんもこの地方の出身。「私はノルマン系ケルト系の日本人」とは本人の弁)
 妖精物語がアイルランド、スコットランド、イングランド、ウェールズと各地でふんだんに聞かれるのが英国諸島ですが、ことにコーンウォールはキリスト教伝来以前のケルト文化が色濃く残っている土地であります。
 ウィルソンによると「霊性の強い土地」だそうです(オカルトにも詳しい人らしい言葉ですな)。
 彼は日本の妖怪について「妖精に極めて近い存在」という指摘もしています。
 来日した際、水木しげるを捕まえて「妖怪が見えるってホントですか?」と真剣に尋ねたそうです。
 水木が「見た事は無いけど、存在を強く感じる事はありますよ」と答えると、「それでもうらやましいですねぇ」と言ったそうですよ^^
 j.k URL 2009/06/28(Sun)19:06:02 編集
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