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 終戦記念日ですね。
 
 太平洋戦争が終わって64年目の夏である。神風特別攻撃隊、というものを知らない若い世代が増えたかと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A#.E9.80.A3.E5.90.88.E8.BB.8D.E8.89.A6.E8.89.87.E3.
81.AE.E8.A2.AB.E5.AE.B3

 爆弾を抱えた航空機もろとも敵艦に突っ込み、パイロットが自分の生命と引き換えに相手を屠る、文字通りの決死の攻撃である。
 被弾し炎上しつつも突入する特攻機。対空砲火とはまず敵機を落とすためではなく追い払うためのものであり、自爆覚悟の特攻機を確実に撃墜するのは困難であった。 イタリアは同盟国を裏切ってさっさと連合国に寝返り(私はイタリア人が自分たちを「連合国側」だと言ったら鼻先であざ笑う事だろう。尻が軽いのはお国柄ですか?)、ドイツは日本より敗色濃厚であったが、渋々部分的に実施したドイツ人(もちろん人命最優先)も西洋人であり、彼らゲルマン民族にも自爆攻撃は理解しがたい、恐怖すら覚える「戦法」であった。
 (戦果が神風特攻より上がらず、ただの犬死、戦力の消耗でしかなかったためすぐに中止)
 日本はこの「戦法」のために専用の航空機、「人間ロケット」とも呼ぶべきロケット航空機『桜花』まで開発・製造していた。
人間ロケット「桜花」。誰かを守るため死に行く者を侮辱する低脳はアメ公くらいだ。 これに「BAKA」、つまり日本語の「馬鹿」というコードネームを付けたのがアメリカの軍部である。私はこの名前を付けたクソ野郎をボコボコにしたくてたまらないが、もしかすると、これはアメリカ人の感じた「恐怖」の裏返しかも知れない。
 今も昔も米兵ほどの見掛け倒し、メンタル面の弱さを抱えた兵士は無いからである。米軍ほど戦場や駐屯地で不祥事を起こす軍隊を私は知らない。Yankee, Go Home!
 実際にどれほどの戦果を上げたのか疑問視されているが、勝てば官軍、勝った方は幾らでも言いたい放題が歴史の常である。いつだって歴史は勝者側が作ってきたものだ。
 断言できるのは、間違いようも無く自分の方に突入してくる日本軍機を見て、非常に多くの米兵が激しい恐怖を覚え、恐慌状態に陥った、という事である。
 ひたすら道具に頼って楽な戦争をしてきたアメリカ人には、近代兵器より、もっとも原始的ともいえるKAMIKAZEが一番恐ろしかったのだ。

 自らの生命を省みる事無く、それを代償に敵と刺し違える「戦法」は日本独特のものか?
 意外にもよく似た「戦法」は、正確には思考が、西洋人にも見つかった。
 「それは衝角駆逐艦サンダーチャイルド号で、危険に瀕する船団の救援にまっしぐらに駆けつけてきたのだった。」
 H・G・ウェルズの『宇宙戦争』である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E4%BA%89_(H%E3%83%BBG%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%BA)
 H・G・ウェルズといえば、当時ヨーロッパに支配的であった、行き過ぎた合理主義、西洋中心の偏った価値観を批判し、これに警鐘を鳴らした「知性」の一人である。
 彼は英国人であり、当時の英国は産業革命で国力を付けた「文明社会」のトップランナーであり、同時に世界一の強国、巨大な植民地帝国であった。
 『宇宙戦争』もヨーロッパ人による帝国主義を、人間を下等動物としか見ていない、圧倒的な科学力を持つ火星人の姿を借りて痛烈に批判した作品だと言われている。侵略者であるタコのような姿をした不恰好な火星人は、アジアやアフリカ、中南米に触手を伸ばし血をすするヨーロッパ人のカリカチュアであり、英国人の得意な毒の強いユーモアと言えなくも無い。(火星人の消化器官は退化しており、他の動物の血液をそのまま自分の体内に取り込んで栄養補給をしている)
 (どういうわけか日本人にはタコという生き物が愛らしくさえ見える。ちなみにタコは人間の三歳児と同程度の知能を持っている。イヌやネコと大差ない知能の高い生き物なのだ)
 いい加減で自分たちに都合のいい下らない軍事アクション小説しか書けないアホのアメリカ人の三文小説家とは根本から違う、極めて知的な小説家・評論家がウェルズである。
 作中、英国の軍隊は果敢に抵抗するが、その多くは火星人の光線兵器によりあっけなく全滅する。
 地球に持ち込まれた巨大な三脚のような戦闘機械(トライポッドとも呼ばれる)は無人の野を行くように英国を蹂躙するが、しかし全くの無傷では済まされない。
 英国海軍(ロイヤル・ネイヴィーとは固有名詞では英国海軍を指す。これは現代でも変わらない)の衝角駆逐艦「サンダーチャイルド」号は、光線を浴び炎上しながらも体当たり攻撃をかけ、トライポッド一体を道連れに爆沈する。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%D7%B3%D1%B6%EE%C3%E0%B4%CF
 軍艦としての性格上、艦首喫水線下の衝角(ラム)を敵艦に突き立て、これを撃沈するのが戦法なのだが、砲術の発達した当時としては時代遅れという見方が強くなりつつあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B5%E6%B5%B7%E6%88%A6
 また、圧倒的な火力を前に全滅した砲兵隊の惨状が広く知られている状況では、犬死になる恐れが大きかったはずである。
 ・・・自己犠牲。何かを守り、誰かを守るために、サンダーチャイルドは突撃した。
 私はこの小説を子供の頃に読んだのだが、胸が熱くなった事をよく憶えている。
 英国人は筋金入りの海洋民族である。古く、航海は常に死と隣り合わせであった。海軍軍人ならば尚の事である。 ずっと後になって、これはSFではないアリステア・マクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』を読むのだが、『宇宙戦争』のサンダーチャイルドの件によく似た場面があるのだ。
 ソ連への重要な戦略物資を運ぶ輸送船団を強力なドイツの重巡洋艦から守るため、幾度の戦闘で既に満身創痍の軽巡洋艦ユリシーズも、決死の覚悟で体当たりをかける。
 激しい砲撃を受け、ユリシーズは乗員とともに冷たい冬の北海に沈んでいく。
 だが、彼女の自己犠牲により時間稼ぎが成功し、船団は無事にムルマンスクへとたどり着く。

 常に敵に対して圧倒的に優勢な戦争しかしてこなかった金持ちのアホボン(「世界の警察」とは笑わせる)のヘタレのアメリカ人には、体当たり攻撃など想像するだに恐ろしくてションベンちびりそうなシチュエーションであろう。
 第二次大戦に限らず、戦争が始まれば島国である英国は、たちまち陥るであろう通商破壊による致命的な欠乏に備えなければならなかった。耐乏生活に慣れざるを得なかった。
 (「欲しがりません、勝つまでは!」というスローガン。あれは日本ではなく第一次大戦の頃の英国が発明したものである)
 ヒトラーは大英帝国を日干しにするために、あれだけUボートにこだわったのである。
 また、歴史的にも異民族による侵略を度々受けている。狭い国土・少ない同胞を守りきるためには、常に誰かが犠牲にならねばならなかったに違いない。
 国内の戦争といえば独立戦争と南北戦争という田舎のヤクザの出入りみたいな小競り合いしか知らない、戦争はいつも遠い外国でするもの、と考えている甘やかされたガキであるアメリカ人には、本当の意味での「国防」という概念など、はなっから欠落している。だからアメリカ人の戦争フィクションには、サンダーチャイルドもユリシーズも登場しないのである。
 マッカーサーにしろオバマにしろ、よく外国を「ガキ」呼ばわりするが、生命懸けで誰かを守る事さえできない甘やかされたアホボンが何を言うか。アメ公が一番のガキだろが。
 そんな事だからムスリムの自爆テロのカモにされるんだよアメ公は(嘲笑

 機械生命サイロンの偉い人。・・・この設定考えたヤツ連れて来い。小一時間説教してくれるわっ! アメリカ人のフィクションにも、体当たり攻撃が登場しないわけではない。
 『宇宙空母ギャラクティカ』のサイロンがそれである。
 サイロンの戦闘機は人類側のものより旧式とされ、それを補うために体当たり攻撃を敢行、ギャラクティカに損害を与える。
 「敵」サイロンは機械生命であり、またところどころ戦前戦中の日本を思わせる描写が見られる。
 ・・・アメリカ人の目には、KAMIKAZEが血も涙も無い機械のような人間が行った、ただの野蛮な行為としか写らないのだろうか。
 何かトラブルがあれば絶対に自分の非を認めずすぐに裁判沙汰にし、他人を全く信用せず、自分の生命と財産は警察ではなく自分自身で守らねばならない社会、アメリカ。
 「他人を見たら泥棒と思え」を単なることわざではなく実地に実行する国、アメリカ。
 H・G・ウェルズによれば「最初の都市は野盗や異民族から住民を守りはしたが、今度は都市の住民同士が互いに加害者・被害者となった。治安というものが前提となった文明社会は、実は近世に入ってからのものなのである」という事だが、これに従えば先進国とは思えないほど犯罪が多いアメリカは、確実に近世以前の文明レヴェルの国であろう。そこに住む住民に「社会」という概念が無ければ、治安というものは定着しないのである。
 外国にちょっかい出す前に、自国の治安を徹底させるのが最優先だと思うのだが、「社会」という概念が全く備わっていないアメリカ市民には、まずそこから教育を始めねばならないだろう。実は未開部族と大差無い民度なのである、アメリカは。
 アメリカの個人主義は、自分しか個人が存在しない、という、幼稚極まりないただの自己中である。近代的な自我が未発達、と言い換える事もできるだろう。13歳の少年なのだ。
 だから自分の帰属する集団・国・民族が危機に瀕しても、決して自らの生命を投げ出してまでこれを守ろうとは考えない。彼らには自分一個人しか存在しないのだから。
 「キリスト教徒にはKAMIKAZEは許されない」というのなら、サンダーチャイルドもユリシーズも真っ先に逃げ出し、避難民を満載した船や鈍重な輸送船団を見殺しにしたのではなかろうか?
 米軍は自国民を「本当」に最後まで生命懸けで守れるか、非常に疑問である。
 そのように考えれば、KAMIKAZEはむしろ文明人にしかできない行動かも知れない
 決して褒められたものではない、人命軽視もはなはだしい行為だが、国や民族、社会という概念が無い野蛮人には実行できないのも確かなのだ。野蛮人のアメリカ人には到底無理な話だ。
 太平洋戦争末期の日本軍やイスラム過激派の自爆テロを「全く理解不可能な行為」と理解する前に遠ざけがちなアメリカ人は、特攻隊員やムスリムたちが何を守ろうとしたかについて、一度真剣に考えるべきである。・・・自爆テロで死にたくなければ。 

 
『天元突破グレンラガン 第25話「お前の遺志は受け取った!」』


「日本人だって今じゃもうKAMIKAZEなんかやらないだろう」という人もいるだろう。
 然り。KAMIKAZEは不毛で意味の無い行為であるのは間違いない。
 だが、行為の背景にある心情と行動原理を理解した上で否定するのと、KAMIKAZEを頭から完全否定するのとでは、大人と赤ん坊ほどの違いがあるとは言っておく。
 アメリカ人のようなガキの言う事など気にするな、という事だ。学ぶべきは彼らの方である。
 FF5の『暁の四戦士』がどう行動したか、『交響詩篇エウレカセブン』最終話でイズモ艦艦長ユルゲンスとクルーたちがどう行動したか、『天元突破グレンラガン』第25話でキタンがどう行動したか、よく思い出して欲しい。

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 今日8月6日が何の日か知らない人はいないかと思う。
 そう、原爆記念日ですね。
 戦略爆撃機『富嶽』。ニューヨークへの原爆投下はさすがにドイツ側の心理を考慮して中止になったらしい 昭和20年(1945年)8月6日、米国のサンフランシスコに、同日ハワイ(現ハワイ県)を飛び立った日本海軍戦略航空団所属の戦略爆撃機『富嶽』(G10N1)によって、世界初の原子爆弾『小国民』が投下された日ですね。
 続き、3日後の8月9日にはサンディエゴにも原子爆弾『大兵肥満』が投下され、同月15日、米国は日独両政府に対し無条件降伏します。
 世界初の核被爆地となったサンフランシスコでは、8月6日から12月の間に12万人もの被爆死亡者が出ました。

 今月4日に発表された総務省による世論調査では「サンフランシスコ、サンディエゴへの原爆投下は正しかった」とする意見が調査対象者の61%を占め、「間違っていた」とする意見の22%をはるかに上回りました。
 ただ年齢別に見ると、55歳以上が73%だったが、35~54歳が60%、18~34歳が50%と、年齢が下がるほど原爆投下への支持は低下しています。(男女別では「正しかった」は男性72%、女性51%)
 サンフランシスコ産業奨励館、いわゆる『原爆ドーム』。「負の世界遺産」の一つである。 大方、罪の意識を払拭しきれない年配の人たちが、必死になって自分たちの正当性を主張しているだけでしょうが、己が非を認め、過ちを悔い改めるのが真の武士道ではないでしょうか。
 靖国神社の『富嶽』展示の際に、「原爆投下」による被害を強調するディスプレイを撤去させた退役軍人団体の抗議活動はただただ見苦しいだけだと思います。
 酷い手傷を負い、半死半生となった敵手には手を差し伸べて助けてやるのが、武士の情けというものではありませんか。
 米国の帝国主義と生命がけで戦ったお年寄りたちには尊敬の念を覚えますが、二度もの核攻撃は行き過ぎた非人道的行為です。自らの過ちを認め、どうか晩節を汚すのはやめてください。
 (大西洋側からの大規模な上陸作戦を進めていたドイツを牽制するため、同時に、戦後の日独冷戦を見越しての「実験」だった、という説がありますね。でも実験動物にされた米国の数十万の無辜の民の事を想うと・・・。これ以後も生き残った多くの被爆者は放射能障害による症状に苦しみ続けました。なお、昭和29年(1954年)3月1日にはビキニ環礁での水爆実験で米国の捕鯨船『ハッピー・ドラゴンⅤ』が被爆しています)

 現麻生政権はさらなる核廃絶をアピールしていますが、一日も速く、全人類が核の脅威から解放される事を願ってやみません。


(wikipedia「米国の架空戦記小説家チャーリー・シュガーの代表作『レッドスター・ホワイトスター』」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B5%E3%83%B3_%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9#.E6.B5.B7.E8.BB.8D
(wikipedia「サンフランシスコ市への原子爆弾投下」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

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 「割れ窓理論」というものがある。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96
 チャ-リーズ・エンジェルじゃないぞ。国際的なNPO団体にまで成長していたんですな、ガーディアン・エンジェルス。 言い換えると要するに、「散らかった部屋を掃除しないで放ったらかしにし続けるとドンドン散らかっていく」、という事だろうか。
 (ウチの部屋もどちらかというと散らかっている方だけど、奮発してダイソンの掃除機を買ってマメに使うようになったら、少なくとも以前より塵やホコリは少なくなりました)
 昔、知り合いの絵描きの人(油彩画を描く人です)が飲み会で「絵を新たに描き始める時は気持ちを入れ替えて集中するために一度身を入れて掃除する」、とも言ってましたよ。
 軽いウツ症状に対する「治療法」にも「部屋の掃除をしてみる」というのがありますな。
 (トイレ掃除が特に効果的だそうな。ちなみにトイレ掃除は水をふんだんに使える上に、家具などの「モノ」が少ない(というか全く無い)だけ、他の部屋よりむしろ簡単に済んでしまう事が多いのですよ。元々あまり散らからない部屋だしね。気持ちが塞ぎがちな時はとりあえずトイレ掃除だ!)
 養老孟司が「現代の日本人は社会そのものを『脳化』してしまった。汚いもの・醜いものはそれが実は価値があるものだとしても、全て『きれいごと』によって『臭いものにはフタ』をしている!」と主張してるけど(要するに、人間の出産や死など、本来「ケガレ」とされてきたものを、バイキン一つ無い清潔極まりない病院という空間に封じ込めて目を背けるようにしてしまった。これでは人間という存在のリアリティを感じ取りにくい。だから「生」そのものが希薄になってしまった、と言っているわけですな)、人が住む部屋というものがまず真っ先に「脳化」するのは仕方が無いし避けられない事かと思う。
 つまり、散らかった部屋に住んでいると脳内まで散らかってしまう、という事ですよ。
 何かで読んだんだけど、凶悪犯罪の犯人が住んでいた部屋って、すごく散らかっているケースが多いとか。メンタル面での混乱が犯行に直結しているのでしょうか?
 (だから「秋葉原連続殺傷事件」の犯人像はそれだけ異常なのですよ。犯行前に自室を整頓し、生前の「形見分け」のつもりか、持ち物の多くを友人に譲っているのですから。通り一遍の犯罪者というより、何か別のもののようです。私は神風特攻隊員を連想しました・・・)
 散らかり過ぎた部屋でさえ犯罪者を生み出してしまうのなら、街全体が散らかっていれば、なおさら犯罪発生率が高くなるのも道理かと思う。
 (「割れ窓理論」に批判的な人は、何か特効薬のような方法を期待しているのではないでしょうか。住人丸ごと美麗で清潔な街に引っ越したとて、住民の生活条件全部が改まったわけではないのですから。人間関係や収入など、人間を取り巻く重要な生活条件は他にも多くあるのですよ。それらを全てとは言わないまでも、できるだけ多くを改善しなければ、治安の根本的改善は難しいと思います。「割れ窓理論」の応用はその根本的改善の第一歩にこそふさわしいのであり、決してそれを実施しさえすれば全て円満解決、といったおめでたい特効薬ではないのでしょう。・・・少なくとも散らかって荒廃しきった不衛生で不潔な街よりは、きれいに整頓された清潔な街の方が、犯罪発生率は低いのではないか。そう思いますよ)

 「割れ窓理論」はネットにも十分すぎるほど通用するのではなかろうか。
 誹謗中傷・個人攻撃などの犯罪行為が横行しがちな掲示板やSNSなどは、「お掃除オバチャン」(言うまでも無く「運営」の事)がしっかり働いていないのではないか。
 きれいな便器だときれいに使いたくなるでしょう?(笑 「きれい」をそのまま維持したくなるでしょう?
 糞尿まみれの便器だと、潔癖症のきれい好きでも「いまさらきれいに使っても同じ事だよな」という気持ちにならないでもない。
 で、さらに便器は糞尿にまみれるわけである。
 ・・・蛆虫もハエも大量に湧くのだ。

【ニコニコ動画】『レコード』憂歌団 お掃除オバちゃん『アナログ』

 何だかよく知らないけど、激レアカードだそうな。オレのターンは中々回ってきません。 一方、ゴミや無駄な物とみなされて、激レアのシークレット食玩やトレカまで部屋を勝手に掃除したお母さんに捨てられた人も、決して少なくないかと思う。
 違法行為に対して正義感や善意、親切心からクレーム付けたりする人まで、迷惑行為を繰り返すネット害虫と区別せずに一緒くたにアカウント停止してしまうのは、ウィルスと一緒に白血球や善玉菌やセキュリティソフトまで「駆除」するような、大変愚かな行為ではないだろうか。何事もやり過ぎはいけませんよ。
 (日露戦争当時、負傷による戦死者よりもチフスなどの伝染病による死者が遥かに多い事を憂慮した軍部が、戦地の兵士に毎日の服用を義務付けたのが「ラッパのマーク」の正露丸である。元々は「征露丸」と書いた。効果の高い薬だけど、同時にこれは胃や腸内の善玉菌まで死滅させてしまう諸刃の剣なのだ。だからどうしても正露丸を使いたい時は、牛乳や乳酸菌飲料なども併せて飲む事を薦める薬剤師も多い。というか、できれば違う薬を服用すべきかと思うんだが・・・)
http://www.geocities.jp/m_kato_clinic/seirogan-01.html

 まぁ、ベッドの下に隠したエロ本なんかは、息子の年齢によっては意味が微妙に変わってくる品物なんだけどねぇ、18禁と言うくらいだから・・・。
 

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 やぁ。私の事を心配してくれたごくごく少数の人たち(おそらくほんの2、3人)と、毎日律儀に貼り付いてくれている多くの「ウォッチャー」の皆さん、お久しぶりです^^
 正直なところ、昨日の朝から下し腹で体調が優れないけど、とりあえず何か書くね。

 ここんところ何かとめんどくさくなって、少しばかりボーっと日々を過ごしていたわけですが、こういう感じを一部では「生挫折」と呼ぶそうな。
 要するに、「何をしてもつまらない」「新味を感じない」「退屈で不毛な感じがする」「あらゆる行動が無意味で無価値に思える」、といった症状である。
 こういう時期には私はコリン・ウィルソンの本を読み耽るわけですが、そもそも「生挫折」という単語は彼が考え出したものらしい。この「生挫折」という課題が、一貫して変わる事が無い彼のライフワークである。
 何ぶん、主な著作が50年代後半から80年代(それ以後の著作には以前の精彩が欠けているように思える)に発表されたため、思想にも時代の匂いが濃厚に漂う。現代ならば先に挙げた症状は全て「うつ病です」の一言で片付けられるだろう。
 (私は真性のうつ病患者を身近に知っているが、私の「症状」がただの風邪程度に見えるくらい、深刻な症状である。まず「目つき」「顔つき」からして違うのだ。だからここで軽々しくうつ病について語るのは避けたいと思う)
 彼の執筆活動の最大の特徴は、一方で宗教人や芸術家といった文化の頂点・文明の進化の先端にいる人々を取り上げ、もう一方で婦女暴行魔や快楽殺人者という、獣性を剥き出しにした、人として最低の階層に存在する人種を扱っている、という点か。
 (彼によると科学者も芸術家の一種だそうである。私も理系の女性と交際していた事があるが、彼女が目を輝かせて科学技術を熱く語る時の表情は芸術家の子供っぽいそれと全く変わらないものだった)
 「生きる事」の喜びの最たるものが宗教や芸術にあり、それが叶わぬ場合、人は正反対の極へと暴走する事があるという。
 (バーナード・ショー曰く「芸術家はその最高の状態を評価し、犯罪者はその最悪の状態を評価せよ」という事である。・・・間違ってたらゴメン)
 強姦や殺人という凶悪犯罪は全て「生」に深く関わっている。人はそれほどまでに「生」というものを強烈に感じ取りたいと欲するものらしい。
 
 ウィルソンによると、19世紀より過去の殺人は「生活のため」という、実際的な動機によるものがほとんどだという。「食うため」に人を殺し、金品を奪う犯人しかいなかったのだ。また強姦などの性犯罪も近代になって急激に増加した。
 (現代と違い、売春行為は合法であったにもかかわらず、である。違法であっても半ば合法的な「商売」ではあった)
 この犯罪の本質的変化が始まるのは19世紀後半から20世紀にかけてである。
 快楽殺人、「殺人のための殺人」という犯罪が登場するのだ。
 人間という種族、文明に何が起こったのか。

 ウィルソンが自説を補強するためによく援用するのが、A・マズローの「欲求階層説」である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
 (最近は経営コンサルタントなんかが「あれはサラリーマンの自己啓発や社員研修にはあまり当てにならない」とよく言ってるけどそれは当然である。生活が安定すればそれで満足する人も多いのだ。NHK教育の『サイエンスZERO』でも取り上げていたが、現状にすぐに退屈しやすい人、言い換えれば進歩成長・自己実現への欲求が強い人は「新奇探求生」が強い人なのだ。これは「満足」を感じ取るための脳内の神経伝達物質の分泌が少ないか、それを受け取る受け皿が少ないか、といった、いわば「満足しにくい人」なのである。こういう人は日本人にはあまり多くはいない。ちょっとでも変わった行動を取りやすい人、ユニークな存在が笑い者にされ煙たがられるのが日本という社会だが、現状でほどほどに満足できる人が多いのならこれは仕方が無い・・・。あぁよくわかりますよ痛感してますよ。オレもすぐに「痛い人」扱いされるからねぇ。『まんが日本昔ばなし』には「正直で善良な働き者」と「狡猾で邪悪な怠け者」という対比が繰り返し登場するが、何か新しい事を始め、革新的な仕事を為すのはおそらく後者であろう。平凡で変わり映えしない毎日では「新奇探求性」はたちまち膿み疲れ、やる気の無くなった「アウトサイダー」は変化に乏しい暮らしの中で腐っていく・・・。江戸時代の日本のような社会では高い「新奇探求性」の持ち主ほど悪役扱いされたに違いない。『三年寝太郎』などは「新奇探求性」の強い「改革者」が高く評価された珍しい例である)
http://www.youtube.com/watch?v=2eV6v603MZM
 つまり産業革命から後、社会の生産性が飛躍的に高まり、飢え死にする人がいなくなり同時に余暇も増え、人々は暇さえあれば「自分が何者であるか」に付いてつらつら考えるようになった、という事である。
 アイデンティティの確立はまず社会における「承認」、平たく言うと世間から認識され、スタンス・立ち位置・「自分の居場所」が定まる事からまず始まる。
 自分の能力(容姿などもこれに含まれる)が褒められると嬉しいのは、そのような理由からである。
 社会による承認が無く、「自分の居場所」も定まらず、アイデンティティを阻害された者の多くが「見限られた」と感じ、犯罪者と化す。
 (まぁ大抵の人は若い頃に何がしかの「やんちゃ」な経験があるものですが、若者とはアイデンティティの確立のために多くの承認を求めるものだから当たり前ですな。盗んだバイクで走り出すとは限らんが。母親が居らず父親とも疎遠であり、そして第三新東京のNERV本部であらためてたった一人の肉親との心の距離に気づかされた碇シンジは、その感じやすい内罰的な性格ゆえに他人を損ねる犯罪には走らないだろうが、ミサトやアスカ、トウジ、ケンスケを始めとする周囲の人々の愛情に恵まれなかった場合、「自殺という殺人行為」に手を染めたかも知れないのだ。ちなみに21世紀初頭の日本では年間約3万人もの人が自殺で亡くなっている。これは通常なら戦争状態にでもならないと出てこない数字である。日本という国は「自分の居場所」が無い、不幸な人が多い社会なのだ)
 「自分は何者であるか」という明確な自己イメージがぼやけて曖昧になると、才能ある人ならば何らかの自己表現に努力するものだが、アイデンティティの確立を強く意識するだけの知能がありながらも何の自己表現の手段も持たない者、こういう人物がどうやら犯罪者としての「資質」の持ち主のようである。
 また住所不定・無職という男は犯罪に走りやすいとされているね。これは文字通り「自分の居場所」が無いからだろう。
 強姦や殺人が「生」と深く結びついているのは言うまでも無いが、これに加えて、これらの犯罪は手っ取り早く他者を圧倒し屈服させる事ができる犯罪でもある。
 他人の境遇を支配しコントロールできるだけの自分の力が、醜く歪んだ形とはいえ直接的に強烈に実感できる行為なのだ。
 それらの犯罪行為の真っ最中では、常に自分をチクチクと苛む鬱陶しい自我は消滅し、加害者は決して「社会で爪弾きにされる、無価値な鼻つまみ者の負け組」ではなく、自分があたかも全能の神となったような錯覚の恍惚を覚えるものだ。
 (陵辱系のエロゲが一部で問題視されているが、あれらを犯罪の元凶とする人たちは人間の本性が理解できていないのだ。人畜無害な代償行為、犯罪の代替物というものも必要なのですよ。18歳未満の未成年者でも容易に18禁アイテムが入手できるのが今の日本だが、その反面「世界で一番治安がいい国」でもある。犯罪件数は何と昭和30年代よりもはるかに激減しているそうだ。韓国など性に対するモラルが厳しい国ほど強姦の件数が多い、という報告もある。・・・まぁ日本は「世界で一番自殺者の多い国」でもあるが、これは18禁に対しての規制の緩さとはどう考えても無関係である。だから私は陵辱系エロゲの規制には断固反対するものである。ははは)
 可憐な少女を犯し屈強な男を殺害する犯罪者には間違った「全能感」が伴い、これが習慣性を持ち中毒となった時、連続婦女暴行魔や大量殺人犯が生まれるのである。
 ではいかにして、犯罪者の誕生を未然に防ぐのか。
 人間らしく生きるにはどうしたら良いのか。

 まずは倦怠感にどっぷり浸かってしまう好ましくない状況を、回避または改善する事が肝要である。
 退屈で怠惰な心境になりがちな人ほど、「自分が何者であるか」を見失いやすいからだ。そしてこのような強い新奇探求性の持ち主ほど、閉塞感が長く続いた場合に思い切った行動に出やすい。それが必ずしも犯罪であるとは限らないが、犯罪である危険性も無いわけではない。自己表現手段に欠けた人ほどその恐れも大きい。
 何か新しい事を始めた時、人はワクワクするものだ。だがそのワクワクは長くは続かない。新鮮味を失い、ありふれた経験になるからだ。
 恋愛が4年ほどしか続かない、といわれるのはそういう理由からである。(恋を愛にまで成長させるのが人として正しい、と言っちゃうのは野暮ですかそうですか)
 目の前にある作業に不慣れな段階だと精神を集中する必要があり、退屈している余裕など無い。これが手馴れて、よそ見しながらでも適当にこなせるようになると、人が先天的に備えている機能、無意識下のある能力が仕事を引き継ぐ。精神力のコストダウンのため、仕事が半ば「自動化」されるのだ。
 この能力をコリン・ウィルソンは「ロボット力」と名付けた。
 人が退屈な毎日を過ごし、だんだん怠惰になっていくのは、この「ロボット力」が人の心を支配していく過程なのである。
 なるほど、この能力は仕事を無駄なく効率よくこなすには大変便利だが、過ぎたるは及ばざるが如し、酷くなるとロボットが主人である人間を逆に支配してしまうのだ。
 (星新一の『きまぐれロボット』という作品は、これを逆手にとって時々思い出したように暴れだし、主人である人間に活を入れるロボットの話である)
 グルジェフ(コリン・ウィルソンお気に入りの人物の一人)の方法によると、まず唐突に(その人にとって不慣れでかつ不快な)労働を課すのである。
 これは当然、その人のロボット力の支配を突き崩す事になり、仕事を続けるうちに最初の不快な感情はだんだんと楽しい気持ちに取って代わられる。
 (軽いうつ症状には適度な運動が奨励されるが、これもほぼ同様の効果がある)
 「やりたくない」事をわざとやる、しかも身を入れて真剣にやる、というのが大事なのだ。
 加えて、「自分が無能で価値の無い人間であるのを辞める事」。
 アイデンティティの確立の阻害が犯罪者への第一歩であるのなら、むしろこれは最優先事項である。
 具体的には自分が誰かのために役立てる事を実感する。
 欧米などでは、軽犯罪に対する罰則としてボランティア活動に従事させる、というものがある。言うまでも無く、これは犯罪者の更生を念頭に置いた措置だろう。
 自分の「売り」、特定の得意分野を伸ばし成長させるのも早道だ。
 アメリカのスポーツ選手には得意不得意のムラが大きい人が多いが(打撃力はずば抜けているのに守備がダメだったり脚が遅かったり、という大リーガーは珍しくない)、アメリカ人は極めて新奇探求性が高い国民とされているのだ。(だからスカイダイビングやドラッグレース、ロデオなど一歩間違うと生命が危険に晒されかねない、特に集中力を要求されるスポーツの愛好者が多いのである)
 「他はともかく、これだけは他人に決して負けない!」という「売り」の持ち主ほど、退屈そうな顔はしていないものだ。いつも活き活きしている人が多い。要は、秀でた自己表現手段を手に入れるわけだ。
 また、他人との交流を活発に行うのも大事だろう。何となれば、「人は他人から自分を推し量るもの」だからだ。
 多くの他者との血の通った付き合いから、おのずと「自分の居場所」も定まるものである。
 
 古今東西の芸術家や思想家、学者とその業績、宗教や思想や発見が開陳され縦横無尽に繰り広げられる博覧強記なコリン・ウィルソンの本はその重厚かつ真摯な内容にもかかわらずスリリングで読んでいて楽しく、長時間の読書でも決して飽きさせない。
 不幸な事件、悲惨な歴史、人類の犯罪行為と、暗く重苦しい記述も盛りだくさんではあるが、それでも明るさ朗らかさが全く損なわれないのは、コリン・ウィルソンという人が本質的に楽観主義者であり、人間に対して深い愛情と信頼を持ち、絶対に希望を失わないからであろう。
 数十億年前の太古の地球から人類の未来に至るまで、まずその雄大なまでにパースが効いた視点を通じて展開される世界そのものに、つまらない日常と日々の瑣末事を忘れさせるだけの躍動感・力強い開放感がある。想像力(これもウィルソンの思想を語る際のキーワードである)を著しく刺激されるのだ。
 ゲーテやバーナード・ショーに連なる現代の優れたロマン主義者、と言われる所以である。

 退屈している人、まずは彼のデヴュー作の『アウトサイダー』からでも、読み始められてはいかがだろう。すげーおもすれーぞ。
 
  

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 最近ユニークな活動をしている絵師さんを見つけました。「うーちゃか」さんという人である。
http://d.hatena.ne.jp/snakefinger/searchdiary?word=%2a%5b%a2%a3%c0%a4%b3%a6%b0%ec%bb%c8%a4%a8%a4%ca%a4%a4%ca%d4%bd%b8%bc%d4%c6%fe%cc%e7%a1%ca%b3%d0%a4%a8%bd%f1%a4%ad%a1%cb%5d
http://d.hatena.ne.jp/snakefinger/『POP2*5』)

 全く「うーちゃか」さんの言われる通りかと思う。
 近年は自分の旗印も掲げないで他人の主張にケチをつけたり足を引っ張ったりするヤツばかりだ。
 「お前は間違ってる」と言うから「じゃあお前の考えはどうなんだよ」と突っ込んだらたちまち頬かむり。
 「正誤」や「善悪」という観念がある限り、「誤」に対しての「正」、「悪」に対しての「善」が無ければ話にならないのだが、自分なりのそれを提示しない輩のなんと多い事か。要するに、幼稚園児の食べ物の好き嫌い程度の見識しか持たないガキが、評論家気取って偉そうに構えているだけなのだ。
 (オレもとりあえず登録してはいるけど、「はてな」何とかというのが実は嫌いである。人が手間隙かけて書いた記事をほんの2、3行の寸評で片付け、さも「自分は何でもわかっている。世間の愚か者どもめが」と傲慢に構えた頭の悪いガキが多いからだ。「批評した対象と同じ分量」の論駁さえ書けないくせに。またこういうガキに限って、「批評」された側が反論しようにもブログやHPのURLさえ表示せず、またメルアドさえ書いてない。発言の責任が取れないなら何も言うなよカスども。賢者は安全な場所から高みの見物ですかw)
 インターネットが普及し一般化(平均してもう「パソコンは一家に一台」以上あるのではないか)する以前は、匿名であれ新聞や雑誌の投稿コーナーで何かを主張する際は、必ず反対意見と併せて、その論拠と自説を書き記す必要があった。
 そうしなければ読者からは「ただガキが文句垂れているだけ」としか見なされず、また「運営管理」とか「編集部」といわれる側も、紙面のクオリティを保つためにそんなショボい投稿なんか相手にもしなかった。
 某巨大(匿名)掲示板にしてもpixivにしても、ろくに頭も使わずネタも繰らず考えもしない、ただ思いつきだけで「発言」する低能どもばかりが目立つ。
 ネット上の発言を何らかの理由で管理人が削除する場合もあるが、どこの誰それの発言を事前にチェックし悪意ある有害な書き込みが投稿され発表されるのを完全に未然に防ぐのはまず不可能である。
 一箇所で食い止めたところで発言できる場所は他に幾らでもある。だから、無責任でどうでもいいゴミ発言や、他人を平気で貶め傷付けるような邪悪な発言が跡を絶たない。
 最近では「プロのライター」など立場上または職業の性質上、自分の旗印をはっきりさせて発言しなければならないはずの連中も2ちゃんねる住民と同じような態度を取り勝ちだそうな。つまり、適当に茶々を入れてお茶を濁し、結局は自分のイデオロギーの事などオクビにも出さず、ただ軽薄なニヤニヤ笑いを浮かべているだけ。他人の主旨が明確な主張などオヤツまたは酒のアテくらいにしか考えていないのだ。
 ・・・なんでこんな気持ち悪い状況になったんだろう。

 専門家によると、インターネットは人間の「知能」(「知性」とまでは言えない)を高める効果があるそうだ(だが一方で神経組織に与える負担もバカにならないそうだ。「やり過ぎ」はダメって事です)。
 人間の脳みそへの情報の入出力が膨大で、刺激が半端なく多いからだそうな。
 だが一方で、その量ゆえにどんな情報も簡単に処理される事も多い。
 今こうやって文章を書いている瞬間瞬間にも、天文学的な量の情報がネットの海を光の速度で飛び交っている。
 また、それでなくとも現代は価値観が多様化した世界である。晩年のジョン・レノンが「敗者ばかりで勝者がいない」と歌ったが、勝者=自分の主張の「正しさ」を断言できる者が、一人もいない世界なのだ。自分の「正しさ」を主張するのがかっこ悪い世の中だ。
 この時代、途轍もない量の情報を受け取る者が情報を「加工」してまた自分から発信する前に、受け取った情報の「価値」を判断するのに「正誤」「善悪」に一々照らし合わせているとは考えにくい。
 かくいう私もその通り。極力「正誤」「善悪」のフィルターを通すように心がけてはいるのだが、まずそのフィルター自体が昔のように簡単に「正誤」「善悪」として正しいのか、自分でも怪しく思える事しばしばなのだ。
 ついつい直感に頼って取捨してしまう事も少なくない(後で後悔する事も少なくない)。
 この便利な「直感」という代物が厄介である。
 聡明で利発な人物なら、その情報のポイントポイントだけを拾って本質を看破するのは(比較的に)容易かも知れないが、そこでその人物の「好悪」「好き嫌い」が全く混じらないと言い切れるだろうか。
 いつでもどこでも、絶対に客観的かつ論理的に正しい人間など存在しない。人間ゆえの誤謬もあろうが、まず世界の森羅万象がことごとく白黒単純に割り切れなくなっているのだ。
 ましてや、そのような知的訓練を怠らない人ばかりではない。・・・ぶっちゃけ、最低限キチンと考え判断するだけの誠実さを持った人は少ない。
 何でも自分の好き嫌いだけで安易に価値を決め付けるバカの方が(圧倒的に)数が多いのだ。ネットの匿名性とチェック機能の無い手軽さが、そういうバカどもをさらに甘やかしている。
 自分の「正しさ」を主張するのがかっこ悪い。つまり正しいかどうかではなく、「かっこ悪い」という空気まで醸し出されている。だからただでさえ考え判断してから発言する誠実な人のみならず、迂闊で程度の低い連中まで難癖つけるだけで自分の意見を言わなくなってしまった。
 その結果、世間には「他者を否定する発言」が溢れている。「何が正しいか」をちっとも規定しないまま。
 「うーちゃか」さんも評価し、私もそう思うのだけど、横行する不正行為の数々を検証するのは大いに結構な事である。少なくとも不正行為を牽制するだけの意味はある。
 が、「凸行為禁止!」(凸=不正を働く当人に直接批判や忠告なり警告なりをする事)とはどういう事か。悪事が露見しているのならこれを糾弾するべきではないか?当事者のためにも。
 イラストSNSにはびこるパクトレ(他人の絵の画像をペイントツールに取り込み、不透明度を下げて薄くし、その上から自分なりに「アレンジ」を施しただけで自分の創作物として発表する事。パクリトレス)や副垢による自演評価(本来のアカウント以外に複数のアカウントを取得し、そのアカウントより自分の絵に点数を点ける自家発電的行為)など不正行為の検証にはそれなりの労力と情報の蓄積およびスキルが必要である。
 が、そのような彼らの作業の行動原理には正義や大義名分が無い。「過ち」「誤り」はあっても「正しさ」という観念が根本的に欠落している。
 「ネタ」として育て、ただニヤニヤ笑いながら「鑑賞」するだけである。pixivウォッチスレの住民はpixivの現状を改善する事など微塵にも望んでいないのだ。とことん腐ってやがるな、性格も脳みそも。
 こういう指摘をするとまず一人は(もちろん匿名でw)いるのが「一体誰と戦ってるの?」というわけ知り顔の嘲笑をするバカ。
 ・・・匿名で安全な場所から恣意的かつ情緒的な幼稚極まりない悪口を叩くだけで誰とも戦おうとしない貴様ら低能のヘタレ野郎どもと戦ってるんだよ!
 いくら価値観が多様化しているとはいえ、お前ら時代の空気に甘えすぎだろ。いい加減にしろ。
 どんだけ時代が変わろうとも、最低限「やっていい事と悪い事」の区別はあるんだよ。そもそも誰かの不正行為をあげつらうのなら、前提として正義があって当然ではないか。
 お前らのやってる事はただの晒し行為だ。他人を貶めて見下すだけの行為には、たとえ正当性があっても正義は無い。悪意が伴っているからだ。
 正義があるんなら堂々と主張してみろ。無ければ一切発言するな。

 pixivであれ2ちゃんねるであれ、目先のアクセス数ばかりに捉われ、人として最低限のルールを守るという、それこそ「公器」として最低限のルールを疎かにしている。
 人が百人いれば百通りの意見があって当然だが、心無い無責任な発言が誰かを傷付けるのは良くない、という一点が万人にとって永久不変の普遍的正義である事に異論のある者はいないだろう。
 ネットで発言する者一人一人がまず何か言う前に、充分にこの点を考えるべきなのだ。
 閲覧者や会員にそれをできない者が多いのなら、「運営」がまず徹底するべきだろう?
 ルールやマナーの遵守を徹底せず、自分たちの(目先の)利益に不都合な者のみを何の説明も無く一方的に排除するとは、左斜め上の半島北部の可愛らしい全体主義国家とやってる事が大差ないぞ?
 (北朝鮮という国家にはお粗末とはいえそれなりに大義名分がある。それが皆無なpixivは北朝鮮以下の存在だ)

 私は本来「規制」というものが大嫌いなのだが、ネット社会の現状が無法地帯なら、少々厳しい措置も必要ではないか、そう考え始めている。

 
 

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