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 07年7月18日水曜日着手。   (広告および個人攻撃・誹謗中傷・個人情報の掲載・悪質な宣伝活動お断り。この警告を無視し禁止事項に触れた者には、IPの公開・プロバイダへの通報など厳重なる対応を取る事もあり得るのでそのつもりで。荒らすな!)
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 今年ももう残すところ2日を切りましたね。
 テラフォーミング大掃除もホコリや汚れの除去はかなり進んでいるのですが、一向に片付いた印象が無いのはやはり物が多すぎるせいか。

 今年もいい事なんてなかったなぁ。とうとう芽も出ずじまいでしたよ。(お友達票すら無いなんて・・・ねぇ?)
 やはり無駄な努力か、やはり自分に才能なんて無いのか(薄々気づいてはいるけど)、等々、鎌首をもたげる失意と絶望、苛立ちと不安をなだめすかしごまかしごまかし頑張ってはいるけれど、こういうのって疲れます。
 一流とは言いがたい腕前かも知れないが、微妙に進歩と成長はあるように思うんですよ。自分で言うのも何ですけど。というか創意工夫は忘れない。
 でも世間の反応が極めて薄い、というのは、「いい絵」ではないと評価された、という事だ。
 
 でも他に自分を表現する方法というのを私は知らない。いつ来るかわからない朝を信じて、とりあえず食いついてしがみついてがんばるしか道は無いのです。その道は当然夜道です。迷いやすいのです。
 もうダメかも知れんなぁ、と思ってはいても、とにかく歩いていれば先に進める。他に方法は無いし。
 努力というのはそういうものかも知れませんね。輝く未来に向かって猛進するのではなく、足元も定かではない暗い夜道を探りながらそぞろ歩く。もはや苦行と言うべきか。
 楽しみながら続ける努力なんて努力じゃないですよ。
 


 来年はいい年になるといいなぁ。来年こそもどうぞよろしく。 

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 ネットの匿名性をめぐる議論というのは結構あったりするんだけど、最近もまたあったようです。
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/091206/its0912061801000-n1.htm
(msn産経ニュース 【日本の議論】ネット上は匿名?実名? 勝間和代氏vsひろゆき氏の“議論”より)
 
 私なら国民総コテハン制を提唱しますな。(京阪乗る人は「おけいはん」である)
 何で匿名による発言が好まれるかというと、実名だとネット上での発言が実生活に好ましくない影響を及ぼす危険性もあり得るからです。
 「実名で言えない様な発言の内容などろくなものじゃない」という意見もあろうが、実名または信用が置ける看板において発信される情報や発言される主張が、必ずしも正しいとは言い切れない、むしろ虚偽妄言、デマ、捏造、偏向報道・印象操作である場合も多い、というのが世間の実情である。近年はその傾向が特に酷い。
 「アサヒる」という新語が流行語にまでなったのは記憶に新しいかと思う。朝日新聞は日本三大紙の一つであり、社会の木鐸として長く信用されてきた新聞である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%92%E3%82%8B%E5%95%8F%E9%A1%8C


【ニコニコ動画】落語 「阿弥陀池」 桂春團冶(二代目)
(日本で初めてマスメディアによる情報伝達が注目されたのは日露戦争当時。刻一刻と変わる戦況報告は社会の耳目を集めた。この落語が作られたのは日露戦争直後の事であり、上方の噺家の桂文屋の作である。ブンヤという名前もどこか人を食ってますな。桂春團治という名跡は有名な初代から三代続いているが、いずれも名人である。当代の三代目春團治師は二代目の息子さんで、上方落語四天王の一人として戦後の上方落語復興に功績のあった人)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%96%87%E5%B1%8B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%98%A5%E5%9B%A3%E6%B2%BB
↓ざこびっち版。
【ニコニコ動画】【落語】桂ざこば 『阿弥陀池』

(海外では新聞は大衆紙と高級紙に大別される事が多い。「良識ある層」とされる人々は政治経済・文化などを扱った高度な記事の高級紙を購読し、「労働者階級」はもっと砕けた内容の大衆紙を読むもの、とされているのだ。海外では高級紙は発行部数が少なく、大衆紙は多い。従って日本の三大紙の海外特派員などは自社の発行部数を公表したがらないそうだ。大衆紙の社員だと思われて軽く見られるからだそうである。日本では逆であり、ウソが少なく公明正大で冷徹で客観的な情報を伝えるクオリティ・ペーパーである事が社会的信用に直結し、それが大衆の好むところとなった。零細企業の安サラリーマンのお父さんも日経新聞を読むし、巨大企業のCEOも阪神ファンなら『大スポ』を読むのである^^)
 マスメディア関係者には「情報操作によって社会を操っているのは我々であり、然るに我々は神に等しい存在である」と勘違いしている邪悪でしかも愚かな人もいるだろうが、一般大衆もまんざらバカではない。新聞や雑誌、TVなどマスメディアの情報がウソ偽りの無い公明正大で冷徹で客観的なもの、と信用されてきたのは過去の話で、実際には各々の利益のために多かれ少なかれ「編集」されている現実をみんな知っているのだ。
 近年では新聞や雑誌、TV局といった既存の大手メディアが厚顔無恥にも大きな顔をして触れ回るいい加減な情報より、ネット上でリアルタイムで発信される匿名の内部情報の方が信用が置ける、とされている。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid268.html
(ぼやきくっくり 『TBSの捏造・不祥事の歴史』)

 人は「ここだけの話なんですが・・・」という殺し文句に弱い。
 1991年に起こったソ連8月クーデターはわずか数日で鎮圧されてしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A38%E6%9C%88%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
 ペレストロイカなゴルビーちゃん。でもクーデター起こした人にはこの人が指名した者もいたそうな。飼い犬に手を噛まれたとはこの事よ これは一つに、クーデター政権が海外から支持を得られなかったのも大きいだろう。詳細な情報が英文のファックスによって他の国々のメディアに逐一伝えられたからである。主だった国々の政府は「政府公式声明」を信用せずクーデターを支持しなかった。名も無い一市民のファックス情報を信じたのである。
 ただ、この内部情報が必ずしも公明正大で冷徹で客観的であるとは限らない。そう信じられやすい事を逆手に取ったデマ、ガセネタだって少なくないのが現状だ。この手の情報操作に踊らされる人だって多いのだ。
 匿名掲示板などでは悪意のこもった誹謗中傷が多く、また好まれる傾向が強い。私怨による偏った書き込み・歪んだ見解であっても敢えてそれを支持する輩も多い。(匿名で他人を否定する事でしか自己主張できない、というのは大変かわいそうな人たちだと思うが、そういう人ほど自分の姿が見えていないものだ)
 反論しようにも「本人乙!」などと攻撃された本人として扱われ周囲から袋叩きに遭ったりする。こういう「コミュニティ」に何も知らない人が迷い込んだりしたら虚偽の情報であっても鵜呑みにしてしまう恐れが大きい。(実際に本人が登場する場合もある。これを「光臨」と呼び、煽ってわざわざ招くような発言を「召喚」と言ったりする。・・・どこぞのRPGですか)
 匿名だからこそ真実が伝えやすい、伝えられる、というのも確かだが、反面それは無責任な発言でもある。
 実生活に好ましくない影響がある、というのなら固定ハンドルネーム(ネット上での公的な名刺のようなもの。コテハン)でも構わないのではないか?少なくとも実生活には直接的な影響は無いだろう。
 一方、「どの発言は誰(どのコテハン)のものか」という記録は残そうと思えばしっかり残るし、それが犯罪性が濃厚であるものならば然るべきところへの通報も容易だろう。出所がわからないから無責任または悪意ある匿名情報、流言飛語が飛び交うのだ。また「個人」として注目されると、人は無責任な発言をしないものだ。
 それでも、コテハンが一つしかないと不自由だ、という人も居るだろう。ネット上を主な自己表現の場所としている人にとって、固定ハンドルは本名と変わらない、いやそれ以上の重さを持つ。小説家やマンガ家のペンネームと同じものだからね。
 別に固定ハンドルネームが複数、多すぎない程度に(多くても5~6個ぐらい?)あっても構わないかと思う。記録には残るんだし、これでも無責任な発言は控えるようになるだろう。

 昔から幾つかの国々には本名を名乗る事を避ける文化的伝統がある。本名を「諱」、忌み名といって日常的な使用を避け、普段は通称である「字」(あざな)を使う習慣がそれだ。
http://www.weblio.jp/content/%E5%BF%8C%E3%81%BF%E5%90%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%A1
 本来は呪術的な意味合いが強く、貴族など一部の人のみの習慣だったのだが、近世以降は庶民にまで一般化してしまった。
 絵師などがその一門特有の「ペンネーム」を名乗るのもそれだし、江戸時代初期までは「狩野」を名乗る事を許された絵師でなければ仕事が無かったほどである。呪術をかわすための囮、デコイであった仮名が独自の積極的効果を持ち、主張を始めたのはその頃ではなかったか。ブランド戦略の走りですな。
 また歌舞伎役者や噺家は代々伝統のある名跡を名乗る事も多く、この場合は名前ではなく「何代目」と呼んだりするのが通っぽいとされた。「6代目」といえば東京では三遊亭圓生を、上方では笑福亭松鶴(「つ、鶴光、は、破門じゃっ!」の師匠)を暗に指したのである。
 「春蝶やん」こと故・二代目桂春蝶。司馬遼太郎もファンだった。 (近年では年月の間を置かず同じ名跡を名乗るケースもあり、何代目かというのは従来より大きな意味がある。桂春蝶などは息子さんがごく最近先代である父親の名を次いだ。故人の方だと思ってるとイケメンのお兄さんが登場したりするのである。レコードなど音源が一般化してからは特に何代目であるかが重要になった) 
【ニコニコ動画】【落語】桂春蝶(三代目)「御先祖様」
 古来、豪族などが領地の土地の名前を一族の氏名として名乗る場合もあり、これは威勢を誇示するために効果が大きかったのではなかったかと思う。
 落語家を住所の土地の名で呼ぶのもこれに習ったのだろう。八代目桂文楽を「黒門町の師匠」と呼んだりした。
 「ぷにえ」ってどこかで聴いた名前だと思ったらこれでした。一見某少女マンガの単行本のようだが背景で炎上してるのは国会議事堂です。作者が作者だからなぁ(笑 打撃技など花拳繍腿!関節技こそ王者の技よ! また本名がその人物の仕事に似合わない場合だってある。キラキラテカテカした萌え萌えプリチーな絵を描く作家が本名「源田権太左右衛門」では売り出しにくかろう(笑 やはり「苺プリン」とか「ぷにえ」といった名前が望ましい。
(勘違いしたヲタが「ぷにえたん(;´Д`)ハァハァ」などと言ってアイドル扱いして関連商品をごっそり買ってくれるかも知れない。その「ぷにえ」たんが30過ぎたむくつけき毛深いおっさんだとしても・・・)
 現代の日本での字(あざな)は、平安時代の貴族のそれのような消極的な価値しか持たないのではなく、むしろ自己主張のための武器としての積極的価値を持つ。田中智子という平凡な女の子が「マリリン」なんていうケバい源氏名を名乗る事で大輪の夜の華として開花する事だってあるのだ。(最近のキャバ嬢のはもっと地味で凝った名前が多いみたい。源氏名というのは昔の宮中の女官などの呼び名に由来するが、ストーカーめいた常連客とのトラブルを避けるセキュリティ的意味もやはりあるらしい)
http://allabout.co.jp/interest/nightpleasure/closeup/CU20080515A/
(AllAdult 『源氏名ってどうやってつけるの?』)

 内部情報のリークなど、発信者の立場(状況によっては生命の安全も)にかかわる発言などでは匿名も致し方ないが、匿名でする自己主張ってどこか弱くないか?発言だけが一人歩きして、その背後の発信者は(当然ながら)消えてしまう。
 匿名ゆえの真実味もある一方、匿名ゆえの無責任発言も疑われる。これでは自己表現とは言えない。
 別に本名を名乗れとは言わない。特に匿名である必要が無ければ最低限、固定ハンドルネームで発言してはどうだろう。
 少なくとも匿名よりは無責任発言として疑われにくいし、「自己主張するのだ!」という気構えから自ずと毅然たる態度で発言するようになる。ウソが(無くなるとは言わないまでも)ずっと少なくなるのだ。
 そのコテハンを使って運営管理するブログやHPなどがあれば格段に信用がアップするのは言うまでもない。
 自説に対する反論への覚悟、気構えが備わっていると判断されるのだ。もちろんここで言うブログやHPとはコメントの書き込みができるものを言う。管理人個人へのメールフォームがあれば尚いいだろう。
 そういう態度で発言してさえいれば、匿名で他人を誹謗中傷するような卑しい気分など消し飛んでしまう。
 つまり・・・人格そのものも堂々と胸を張ったものに成長するだろう。

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 やぁ皆さん、すばらしい性夜聖夜を過ごされましたか?
 私は例年通りでしたよ(チクショー!)。

 クリスマスを扱ったフィクションは数々あれど、こういう珍しいものを見つけました。


【ニコニコ動画】講談 「鼠小僧とサンタクロース」 三代目神田山陽

 講談です。落語と並ぶ、日本を代表する伝統話芸の一つですね。
 江戸時代の日本、もしサンタクロースがやって来ていたら?最初に知り合った日本人が、あの鼠小僧次郎吉だったとしたら?という、奇想天外でなおかつ楽しい、そしてほろりとさせるお話です。
 演ずるのは神田山陽。講釈師ですがETVの『にほんごであそぼ』の「さんようさん」、と呼んだ方が有名かも知れません。
http://www.nhk.or.jp/kids/program/nihongo.html 
 サンタクロースというと西洋の「福の神」(?)にしては珍しく、福々しくて見るからにめでたい!という空気をまとっている人ですが、江戸時代の日本がキリスト教を禁ずる事無く、また鎖国する事も無ければ、あの七福神の一行に加わって八福神にしていたのではないか?そう考えるとちょっと楽しいですな。
 去年の今頃はこんな絵を描いていましたよ。
 禅画にすると枯れた、しかし飄々とした感じになりますな。



 


 仙崖和尚風のサンタですよ。
http://fukuoka-senjin.kinin.com/wiki/index.php?%C0%E7%B3%B3
(ふくおか先人金印記念館 仙崖)
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/sengai/index.htm 
(仙崖和尚の絵画)

 全ての大人がサンタクロースになれればいいですね。

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 書物と言うオブイェークトはフォルムが単純なくせに質感が多様で描くのが結構むずかしいんですよ同志ウラジーミル。 副ブログ『右も左も。』でちまちまと記事のネタにしていた絵が描き上がりますたよ。
http://hillmama.blog37.fc2.com/blog-entry-41.html
 ・・・ナンボほど時間かかっとるねん!とセルフ突っ込みを入れたりしてますけど、ほぼ3ヶ月くらいかかったのかな(ひ、ひーっ!)
 まぁ人物の方はとっくの昔に描き上がってたんだけど、例によって背景とか小道具に悩んでたんですよ。悩みすぎか。悩んだ結果が反映してないし。
 思うんだけど、装身具とか衣服の一部または身体に装着した装備や手に持った道具などは、何となく悩まないで描けてしまう事が多いのに、いざ前景とか背景の一部になってしまうと途端にはかどらなくなるのはなぜだろう?
 やっぱ身体の一部になってると描きやすいのかな。
 という事は、風景画とか背景が上手い人って、脳内で逆に人間が風景の一部と化しているんだろうか。
 確かに風景が上手い人は人物がさほどでもないように思えるね。
 という事は、風景と人物を折衷させて描けばすばらしい絵ができるのか。

 ・・・ちょうど良いお手本があったようです。 

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 またあの忌まわしい日がやって来ますね。そう、クリスマスですよ(笑
 特にイヴの日は独り者が世間の風の冷たさをいや増して痛感する嫌ぁな一日ですな。
 家族友人が居る者はまだいい。でもリアルでろくに友達も居ない人間は身の置き所にも困る日である。
 (まぁ友達面してくるヤツが居ないわけでもないが、私の人間関係に対する基準は厳しいのですよ。ちなみに私はほぼ天涯孤独に近い身の上である。たった一人の肉親である妹とはもう何年も会っていない)
 パーティーに呼ばれても自分が何か場違いな人間のように思えてならない。
 よく「クリスマスまでに彼女を作らないと!」と焦る男の声を聞くけど、そういう理由で大急ぎで彼女作っても後々後悔する破目になるかも知れないぞ?人間関係は相手をよく見てから作るべきだ。
 本当の友達とか恋人というのは縁のもの、作為的にわざわざこしらえてもろくな事は無い。
 ただ、自分が「いいヤツ」になる事はできる。・・・かも知れないな。


 クリスマスといえば、思い出される物語はディケンズの『クリスマス・キャロル』と、オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』だろうか。

【ニコニコ動画】「クリスマス・キャロル」 1/5
http://www.aozora.gr.jp/cards/000914/card4328.html
(青空文庫 森田草平訳『クリスマス・カロル』)

 『クリスマス・キャロル』の主人公、因業な吝嗇家、冷酷非情な実業家であるスクルージ爺さんは、3人のクリスマスの精霊の導きにより、クリスマスの朝、人間らしい暖かい心を取り戻す。
 作者であるディケンズは貧しい出身から身を起こして認められた小説家であり、だから彼の目を通して見た庶民の姿はとてもリアルで、それらの人々に向けた眼差しは優しい。
 『クリスマス・キャロル』が発表されたのは1843年の英国。産業革命の真っ只中であり、現代以上に社会の格差が大きく開いた時代である。
 二人目の精霊が自分の羽織る大きなコートの下から見せた、ボロを着て痩せ衰えた二人の子供の名を「無知」と「欠乏」と言う。
 明るく華やかで福々しい二人目の精霊の、コートの中の「無知」と「欠乏」。これは繁栄が内包する陰の部分そのものだ。
 (関係ないけど、手塚治虫が描いた「マンガの神様」はでっぷり肥った外見に反して、上着の下、正味の身体はガリガリに痩せていた。空前のマンガブーム、上辺の隆盛とは裏腹に、マンガそのものの本質は貧弱になっていないか?という問いかけ、警告だったそうな。これは『クリスマス・キャロル』から拝借したアイディアかも知れない)
 ディケンズの鋭い視線は、社会の貧困の原因の一つに「無知」がある事を見抜いていた。19世紀半ばという時代にしては優れた洞察かと思う。
 そしてその貧困は経済的な状態のみを指すのではなく、功利主義に凝り固まり金の亡者と化したスクルージの心も指している。
 スクルージは、貧しいながらも身を寄せ合って懸命に生きている貧しい人々の、互いを思いやる豊かな心を知り、むしろ大金持ちの自分がいかに貧しい人間だったかを知る。彼は無知ゆえに貧しかったのだ。
 本当の貧困は、心の貧しさを知らない事から始まる。頭ではわかっていても、人はこの真理を忘れがちだ。
 世界中で愛される物語であり、大抵の日本人も子供の頃に一度は読むほどであるが、何度読んでもいい話だ。


 オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』も、貧しい人々の、しかし心豊かなクリスマスの物語である。
http://www.hyuki.com/trans/magi.html
(青空文庫 結城浩訳『賢者の贈り物』)
 貧しい若い夫婦が、互いの身を飾るための精一杯のプレゼントを相手に贈るべく、自分の大切な物を売り飛ばしてしまう。
 夫は、妻の美しい髪を飾る髪飾りを買うために、自分の宝物である祖父の代から伝わる金時計を売る。
ベリー・ショートなんてヘアスタイルは無かった時代だからね。 妻は夫の金時計を飾るための金の鎖(すばらしい懐中時計だが、唯一の欠点として、それに釣り合う鎖がなかった)を買うため、自慢の長い髪を売る。
 プレゼントを渡すその時には既に金時計も美しい髪も無く、プレゼントは皮肉なものとなってしまう。
 夫のジムは妻のデラにこう言う。
 「ねえデラ。僕達のクリスマスプレゼントは、しばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。いますぐ使うには上等すぎるよ。櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ。さあ、チョップを火にかけてくれよ」
 本物のプレゼントとは、自分の大切な物を投げ打って贈るものなのだ。
 彼らのプレゼントが実際に役に立つのはまだずいぶん先かも知れないが、必ず役に立つに違いない。


 寒さ厳しい季節にやって来るクリスマス。だから心を暖めあう。
 

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てんしょくってなに?
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 王様の耳はロバの耳。そうハッキリ言う人です。
 王様は裸だ。そうハッキリ言います。
 王妃様も裸だ、とは言いません。うぇっへっへ。
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